舘祐司の気ままなブログ

カテゴリ: つぶやき

2月27日で62歳となりました。

1年前にもブログを書いていますが、その時と感覚的にはほとんど変わりありません。
健康状態も至って問題なく過ごしています。なるべく歩くように心がけているのがいいのかもしれません。
しいて言えば、物忘れが時々ありますね。特に人の名前が出てこない時があります。ただし、これを僕だけじゃなく同年代のひとは多くの方々が経験していることのようです。

相変わらず下手なゴルフは続けています。腕がちっとも上がらずセンスがないんだと半ばあきらめの境地です。

ちょっとしわが増えてきましたかね。寄る年波には勝てません。

ブログを続けられているのも、健康な証だと思います。
また明日からも書きますので、よろしくお願いいたします。
写真 2020-02-26 16 54 13

近頃、ラベルの無いペットボトル、ラベルレスボトルが増えてきているようです。

昨年5月にアサヒ飲料が十六茶などのラベルレスボトル飲料をアマゾンや楽天などの通販限定で販売を開始し話題になりました。
1_s

アサヒ飲料によると下記のように述べられています。
~~ラベルレス商品とは、PETボトルに貼付しているラベルを削減し、廃棄物量削減による環境負荷の低減と、ラベルを剥がす手間を省き使いやすくした、「人にやさしく、地球にやさしい」という商品。通常、ラベルに記載している原材料名などの法定表示は外装ダンボールに記載するとともに、個々の商品への記載が必要なリサイクルマークなどはPETボトルに貼付したタックシールやキャップに記載しています。これにより、ラベルに使用する樹脂量は約90%削減されています。~~
3_s

ゴミになるラベルの量をコミカルなCMで訴求しています。
maxresdefault

maxresdefault1

一般家庭が1年間ではがすラベルの量なのだそうです。面白いですね。
確かに、ペットボトルのラベルは確実にゴミになります。無意識のうちにゴミも一緒に買っているわけです。結構な量の無駄なことを繰り返しているわけです。

最近になって味の素AGFも同社のコーヒー「ブレンディ」のラベルレスを発表し、今月より通販で販売を開始しています。
index

私が思いますには、ラベルは必要ないです。以前よりプラスチックごみの問題が世界的に注目されており、ストローが紙製に変わってきていたり、レジ袋の削減など各方面でその動きが活発になってきています。
ラベルがないと、何か困ることありますでしょうか。もしかすると内容成分などの情報がわからないと言われる方がみえるかも知れません。おそらくごくわずかの方だと思いますが、どうしても必要なら、例えば、キャップにQRコードを印刷し、そこからスマホなどで情報がみえるようにしたらどうでしょうか。ほとんど必要ないと思いますが。
ラベルをはがす手間が減り、ごみの量が減らせるメリットの方がはるかに大きいと思われます。

思えば、私がこどもの頃は、ジュースやサイダーなど瓶に入って売られていました。そして飲み終わった瓶はリサイクルされていました。今にして思えば、そのおかげでごみの量は少なかったですね。瓶から缶に変わり、その後ペットボトルが登場しました。その結果、プラスチックごみ問題です。
確かにリサイクルは手間がかかるし、そのコストも必要です。しかし、使い捨ての時代を経験し、今またリサイクルの重要さが再認識されてきているような気がします。
ラベルレスになっても、ペットボトルがなくなるわけではありません。少しでも廃棄物を減らそうという試みです。
ラベルレスの流れがもっともっと広がるといいと思います。


小泉進次郎環境相に第1子が誕生し、育休宣言をしたことで世間がざわついています。なんでも閣僚の育休取得は前例がないそうで、世論もそのことに「賛成」、「反対」と意見が分かれているそうです。
20200117-01170172-nksports-000-4-view

しかし、もしこれが小泉氏でなかったらここまで大騒ぎになるでしょうか。僕はなっていないと思います。小泉進次郎氏にはメディアが常に注目しており、愛人問題などスキャンダラスな話題も取りざたされています。

しかし、申し訳ありませんが、彼の育休についてはどちらでもそれほど関心がありません。メディアもそんなことを議論するのではなく、もっと重要なこと、例えば少子化問題のことなどに焦点を当てるべきではないかと思います。
仮に小泉大臣の育休取得が世の中の男性の育休促進になり、それが出生率の増加につながるのであればそういうことこそが重要です。
平和と言いますか、おめでたいと言いますか、もう少し日本の将来について国全体で考えていかないと、近い将来深刻なことになるような予感がします。

これから子育てを考えている若い世代の夫婦が安心して子供を産み育てることができる環境を構築することも環境省の範疇なのではないかと思います。
環境相として何をすべきか、我々はそういうところを注目していきたいです。


本日はクリスマス・イヴです。
71ua-2WYotL._SS500_

毎年12月24日はクリスマスにふさわしい音楽をアップしています。
今年は、定番中の定番曲を選びました。「サイレント・ナイト」です。邦題は「きよしこの夜」ですが、まあおそらく日本のみならず世界中でこの曲が流れているのではないかと思います。
mig

日本では、クリスマス・イヴの夜と言えばホームパーティーが定番ですが、本来は「キリストのミサ」という意味だそうです。イエス・キリストの降誕祭で、あくまでもイエス・キリストの誕生を祝う日であり、誕生日ではないんですね。イエス・キリストの誕生日だと信じてました。
24日の夕刻から25日にかけて家族で静かに過ごすのが、海外のクリスマスなんだそうです。
日本ではやや趣が違い、バカ騒ぎをしていたりしますがこれは宗教上の違いなんでしょうね。
sanierung-des-hugel-inkl

この「サイレント・ナイト」はそういう意味で、最もこの日にふさわしい曲だと思います。
静かで厳かな夜「聖夜」という言葉がぴったりとあてはまりますね。

皆さんもこの日は心静かに過ごされてはいかがでしょうか。
それではSilent Night(きよしこの夜)をどうぞ。
 



先日大学入試に関することを書いて、ちょっと考えさせられました。

振り返ると中学校時代は、試験の1週間前になると、試験のための勉強で机に向かい教科書を開き勉強しました。いわゆる詰込みというやつですね。なぜかと言えば普段は家でほとんど机に向かったことがないからです。それでも、まあまあ暗記力に長けていたんでしょう。(自分で言うのもなんですが)それなりに結果が伴います。その当時テストの点数が張り出されていましたので、誰がどんな順位かわかります。
学年が260名ほどの中でほとんど50番以内に入っていましたので、廻りからは「舘君は頭がいい」となる訳です。もちろん悪い気はしません。負けず嫌いの性格があるので、その1週間は集中できました。だけど、はっきり言って暗記力が得意かどうかだけの問題ですね。国語、社会は得意でした。それに比べ数学はちょっと苦手でした。これはまさにそのことを表しています。暗記は得意でも応用力は弱いということです。

先日の大学入試の改革では従来のマークシート式を廃止し「記述式問題を通じて思考力・判断力・表現力を育成しよう」という理念に基づいているようなんですが、考えてみると入試ってたった1回のことなんですよね。学生にとって目当ての学校に合格するか否かは大きな問題ですから、軽視するわけではありませんが、やはり高校での3年間、大学での4年間をどのように過ごすかが大切だと思います。

前置きが長くなりましたが、今の教科も大切だと思いますが、そろそろ日本ももっと多様な能力を認める社会になってもいいんじゃないかとふと思いました。
新潟の中学生が、中学校の教師が使うサーバーに不正にアクセスし、自分のスマホから遠隔操作で成績表を改ざんするという事件が起きました。「親にいい成績を見せたかった」のが理由だったそうです。
これ一種のハッキングですよね。もちろん、やったことは褒められたことではありませんが、その能力を持っているわけです。このことをしようと思ったこと、そして実行したこと、おそらく実行するためには調査したり研究したりしたんじゃないかと思います。これまさに「思考力・判断力・表現力」なのだと思います。誰に教えられたわけでもなく自分で考えて実行したことは一つの素晴らしい能力だと思います。将来いいことにぜひ生かしてもらいたいと思います。

人間にはそれぞれいろんな能力が備わっていると思います。歌が上手い、絵が上手、字が上手、計算が早い、足が速い、体が柔らかい、腕力が強い、などなど。
また、その人が好きなことがあります。歌が上手い人は歌いたいでしょう。絵がうまい人は絵をかくことが好きだと思います。そんな個々の能力を社会がもっと認めてそれをさらに伸ばすような教育ができたら、面白い国になるように思います。
従来日本から芸術家が生まれるのは難しいと言われてきました。それは、勉強していい学校に入って、いい企業に就職するために努力しろという親がほとんどだからです。子供の将来のことを案じてそう思うのは当然だというのが一般的な考え方です。それでは、歌が上手い人や絵が上手な人は埋没してしまいます。そういうことを言うと、じゃ歌や絵で将来食っていけるのか、という議論になると思います。残念ながら現在の日本の社会では厳しいと言わざるを得ません。経済的に成り立つのはほんの一握りの人だけでしょう。無責任なこと言うなとの声もあると思いますが、そういう社会を変えていけたらいいなと思っているわけです。

好きなことをやって生活していければ、楽しい人生になるように思います。少々辛いことがあっても、頑張れると思います。好きなことが見つからないという人もいるでしょう。そういう人はいろんな経験をすることで、出会いがあったり、何かのきっかけでこれだと思えることが見つかるかもしれません。
それでも見つからなければ、見つかるまで、粘り強くトライしてみることですね。前を向いて生きるというのはそういう事なんじゃないかと思います。

無差別殺人事件のような、なかなか理解に苦しむ事件が発生する世の中になっています。「世の中にむしゃくしゃして、誰でもいいから人を殺したかった」というような犯行理由を聞くと、いたたまれない気持ちになります。目指すところや好きなことが見つからず、仲間もいなかったのかな、と。
そういった人を産み出す社会では絶対にいけません。

単なる理想論だと片付けるのは簡単なことですが、近頃の日本は昔と比べて変化しました。
いじめ問題など、大勢で一人を攻撃するのはもってのほかです。また、ハラスメントの問題も強者が弱者を攻撃するのもいけません。そういう教育を受けてきたはずなんですけど。何かに秀でた人を逆恨みするような世の中であってほしくないですね。足が速い子がいたら、応援しましょうよ、将来オリンピック選手になるかもしれません。

人の心の豊かさとはそんなことも大切な一つじゃないかと思います。


このページのトップヘ