今日友人のI 君の自宅にお参りに行ってきました。
亡くなってから3ヶ月ほど経っているのですが、本人から身内だけで葬儀を済ませた後に友達や関係者に連絡してほしいという要望だったそうで、今日になりました。
彼はとにかく明るい性格で、彼がその場にいるだけで賑やかになり皆を笑顔にします。
彼を知ったのは高校生くらいの時期ですが、その頃はそれほど付き合いがなく、40歳くらいからゴルフにはまり、月1回の仲間コンペを開催するあたりから、距離が一気に縮まりました。そのうちに住んでいる地域が割と近いこともあり、ゴルフの時は一緒に行くようになり親しい間柄になっていきました。彼は運動神経がよくて、練習もあまりしないのにゴルフのスコアが良かったです。ちょっと羨ましかったですね。
起業して会社経営をしていたことは本当に凄いと思います。普段チャランポランなことばかり言って笑わせていますが、仕事はそれなりにきっちりこなしていたのでしょう。
今日、奥さんから病気の経緯など伺いましたが、かなり壮絶なガンとの闘いがあったようです。間近で支える奥さんと息子さんも本当によく頑張って面倒をみていらしたようでした。とても真似できるようなものではありません。「大変でしたね」 と言うと「その時は、大変という感覚ではなく、とにかく必死でした」とおっしゃっていました。65歳という現代ではとても早い旅立ちではありますが、本当に家族に恵まれてある意味幸せだったんじゃないかと思います。最後は自宅がいいからと、医者の言うことを聞かず強引に病院から家に戻ったエピソードなど、まあ彼らしい一面を聞くことができました。
手術をしてから一気に容態が悪化したと聞きました。しかし、ほっといてよくなるものでもないですから、その辺の判断は難しいですね。ただ担当医の人間性に欠ける言葉など、医療現場の人の患者やその家族に対するマナーと言いますか、常識のなさが気になります。医師が「これこれこうして死んでいくのですよ」というような言葉をガン末期の患者に言ったという話を聞きました。患者側からすれば、正直、耳を疑いたくなるような一言です。どんなに医療のスキルが高いとしても、そのような医師には見てもらいたくないですね。
ガンが転移してあちこちが痛み出しても、すごく頑張って最後まで絶対諦めない姿勢だったそうです。どこまでもポジティブな男です。奥さん曰くとても痛みに強かったということでした。そこで一つ彼との思い出が頭に浮かびました。
かれこれ10年近く前に泊まりでゴルフに行った時のことです。夜ごはん食べて部屋でくつろいでいた時、なぜか昔のプロレスの話題になり、昔、流行った4の字固めという技をかけて耐えられるかという流れになり、僕と彼とで技を掛け合ったのです。かける側とかけられる側を交代してやったのだと記憶しています。かけられた方が裏返すと逆転するので、痛いけど我慢して我慢してやっていたのですが、これが翌日大変なことになりました。足が痛くてゴルフに集中できないのです。あーやってしまった、と言っても、もう後の祭りです。どちらかと言うと彼の方がダメージが残っていて、本当に辛そうでした。次の日のことも考えずに馬鹿なことをしたものです。
そんな頃、彼はパチンコにはまっていました。僕はパチンコは一切しませんが、その時間が勿体無いような気がして、彼にはその時間をもっと他のことに使った方がいいのでは?とよく言っていました。小規模ながらも経営者ですから、色々考える事はたくさんあるのではないのか、というのがその時の僕の意見です。すると彼はいつも「パチンコは俺のストレス解消だから」と言ってはぐらかすのです。 「負けたらストレス解消どころか増幅するんじゃないか」と言うのですが、当時は全く聞く耳を持ってくれませんでした。仕事でもっといいアイデアが出たり、あるいは取引先が増えたり、僕は自分がしないからかもしれませんが、仕事にプラスになることしかイメージできませんでした。
しかし、それから数年後きっぱりとパチンコ通いを辞めたのです。 何がきっかけだったのか、知りませんが、「舘が言ってたことがやっと理解できたわ」と言ってくれたのは、胸のつかえがスッと降りたような気がしました。僕は昔から自分の意見を通そうとする癖があるので、どうなのかなという気持ちも少しあったのですが、間違ってなかったんだと確信できました。
3月3日に「余命3ヶ月って言われた」というラインを受け取り、ショックでした。とにかく一度会いたいという衝動にかられ「会おうよ」と送ると「また、連絡するわ。全然大丈夫だでねー」「また連絡するから待っとってね」そう言われるととりあえず待つしかないか、と思ったのですが、結局これが最後のやり取りとなってしまったのです。翌月、身内だけで葬儀を済まされた後に連絡を受けました。
親しかった同級生が旅立ったのは、彼でもう5人目です。悲しいですね。3年前には同級生のゴルフ仲間で、北海道旅行の計画があったのですが、コロナの関係で中止になりました。たらればになりますが、コロナがなかったら、楽しい思い出が作れたかもしれません。それがちょっと心残りではあります。
Mちゃん楽しい時間をありがとう。 心安らかにお眠りください。
亡くなってから3ヶ月ほど経っているのですが、本人から身内だけで葬儀を済ませた後に友達や関係者に連絡してほしいという要望だったそうで、今日になりました。
彼はとにかく明るい性格で、彼がその場にいるだけで賑やかになり皆を笑顔にします。
彼を知ったのは高校生くらいの時期ですが、その頃はそれほど付き合いがなく、40歳くらいからゴルフにはまり、月1回の仲間コンペを開催するあたりから、距離が一気に縮まりました。そのうちに住んでいる地域が割と近いこともあり、ゴルフの時は一緒に行くようになり親しい間柄になっていきました。彼は運動神経がよくて、練習もあまりしないのにゴルフのスコアが良かったです。ちょっと羨ましかったですね。
起業して会社経営をしていたことは本当に凄いと思います。普段チャランポランなことばかり言って笑わせていますが、仕事はそれなりにきっちりこなしていたのでしょう。
今日、奥さんから病気の経緯など伺いましたが、かなり壮絶なガンとの闘いがあったようです。間近で支える奥さんと息子さんも本当によく頑張って面倒をみていらしたようでした。とても真似できるようなものではありません。「大変でしたね」 と言うと「その時は、大変という感覚ではなく、とにかく必死でした」とおっしゃっていました。65歳という現代ではとても早い旅立ちではありますが、本当に家族に恵まれてある意味幸せだったんじゃないかと思います。最後は自宅がいいからと、医者の言うことを聞かず強引に病院から家に戻ったエピソードなど、まあ彼らしい一面を聞くことができました。
手術をしてから一気に容態が悪化したと聞きました。しかし、ほっといてよくなるものでもないですから、その辺の判断は難しいですね。ただ担当医の人間性に欠ける言葉など、医療現場の人の患者やその家族に対するマナーと言いますか、常識のなさが気になります。医師が「これこれこうして死んでいくのですよ」というような言葉をガン末期の患者に言ったという話を聞きました。患者側からすれば、正直、耳を疑いたくなるような一言です。どんなに医療のスキルが高いとしても、そのような医師には見てもらいたくないですね。
ガンが転移してあちこちが痛み出しても、すごく頑張って最後まで絶対諦めない姿勢だったそうです。どこまでもポジティブな男です。奥さん曰くとても痛みに強かったということでした。そこで一つ彼との思い出が頭に浮かびました。
かれこれ10年近く前に泊まりでゴルフに行った時のことです。夜ごはん食べて部屋でくつろいでいた時、なぜか昔のプロレスの話題になり、昔、流行った4の字固めという技をかけて耐えられるかという流れになり、僕と彼とで技を掛け合ったのです。かける側とかけられる側を交代してやったのだと記憶しています。かけられた方が裏返すと逆転するので、痛いけど我慢して我慢してやっていたのですが、これが翌日大変なことになりました。足が痛くてゴルフに集中できないのです。あーやってしまった、と言っても、もう後の祭りです。どちらかと言うと彼の方がダメージが残っていて、本当に辛そうでした。次の日のことも考えずに馬鹿なことをしたものです。
そんな頃、彼はパチンコにはまっていました。僕はパチンコは一切しませんが、その時間が勿体無いような気がして、彼にはその時間をもっと他のことに使った方がいいのでは?とよく言っていました。小規模ながらも経営者ですから、色々考える事はたくさんあるのではないのか、というのがその時の僕の意見です。すると彼はいつも「パチンコは俺のストレス解消だから」と言ってはぐらかすのです。 「負けたらストレス解消どころか増幅するんじゃないか」と言うのですが、当時は全く聞く耳を持ってくれませんでした。仕事でもっといいアイデアが出たり、あるいは取引先が増えたり、僕は自分がしないからかもしれませんが、仕事にプラスになることしかイメージできませんでした。
しかし、それから数年後きっぱりとパチンコ通いを辞めたのです。 何がきっかけだったのか、知りませんが、「舘が言ってたことがやっと理解できたわ」と言ってくれたのは、胸のつかえがスッと降りたような気がしました。僕は昔から自分の意見を通そうとする癖があるので、どうなのかなという気持ちも少しあったのですが、間違ってなかったんだと確信できました。
3月3日に「余命3ヶ月って言われた」というラインを受け取り、ショックでした。とにかく一度会いたいという衝動にかられ「会おうよ」と送ると「また、連絡するわ。全然大丈夫だでねー」「また連絡するから待っとってね」そう言われるととりあえず待つしかないか、と思ったのですが、結局これが最後のやり取りとなってしまったのです。翌月、身内だけで葬儀を済まされた後に連絡を受けました。
親しかった同級生が旅立ったのは、彼でもう5人目です。悲しいですね。3年前には同級生のゴルフ仲間で、北海道旅行の計画があったのですが、コロナの関係で中止になりました。たらればになりますが、コロナがなかったら、楽しい思い出が作れたかもしれません。それがちょっと心残りではあります。
Mちゃん楽しい時間をありがとう。 心安らかにお眠りください。