舘祐司の気ままなブログ

カテゴリ: 音楽

1974年突如アメリカから「バンプ」というダンスが入ってきました。
コモドアーズというアメリカの新星ソウルバンドの曲でした。
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この「パンプ」は男女が踊りながら、肩や腰やおしりをぶつけあう新しいダンスでした。この当時ステップが主流でしたから、このバンプというダンスは衝撃的でした。驚きとともに戸惑いがあったのは事実です。日本人には少し照れ臭いダンスでしたから。
ちょうどこのジャケットにあるような感じです。黒人がこの踊りをするとすごく様になっていてかっこ良かったです。
コモドアーズはアルバム「マシンガン」で1974年にデビューし、シングル「ザ・バンプ」と「マシンガン」がいきなりヒットしました。
「マシンガン」はインストゥルメンタルの曲で、よく流れていました。とっても懐かしいですね。

さてコモドアーズと言えば、あのライオネル・リッチーがオリジナルメンバーとして在籍していたことでも有名です。

1982年にソロアルバムを発表するとなんと400万枚の大ヒットを記録します。この当時まだコモドアーズに在籍していましたが、もう戻ることはありませんでした。
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ライオネル・リッチーはその後もソロアーティストとして、大活躍します。
1985年の「USA for Africa」でも中心的なパートを担当していました。

それではコモドアーズで「ザ・バンプ」と「マシンガン」をどうぞ。


 

ディスコ編の第2弾は、大御所中の大御所スティービー・ワンダーの「悪夢」です。この曲は1974年にリリースされヒットしました。原題はYou Haven't Done Nothin'です。
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とてもファンキーな曲で、当時のディスコではこのような系統の曲がよくかかっていました。
曲を聴くと、え?これがディスコでかかってたの?と驚かれるかもしれません。
のちのディスコブーム時代になると、この曲のようなスローテンポな曲は少なくなりますので、少し時代を反映しているのかもしれません。

黒人音楽=ソウルミュージック=モータウンというところは皆さん衆知の通りですが、スティービー・ワンダーはわずか11歳の時にモータウンレーベルと契約し、それ以来モータウン一筋で活動してきています。
スティービー・ワンダーは生まれながらにして盲目というハンデがありながら、シンセサイザーなど楽器の演奏に優れ、シンガーとしても高い実力を持ち、作曲もできてしまうという才能を持っています。盲目のハンデなどまるで感じられない素晴らしいミュージシャンの一人です。同じく盲目の黒人ミュージシャンと言えば、レイ・チャールズさんがいます。彼もまた偉大なミュージシャンとして尊敬されています。
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スティービー・ワンダーは1963年にビルボード1位のヒットを記録しています。この時、13歳で最年少記録となっています。当時はリトル・スティービー・ワンダーという名前で活動していました。
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それから時が経ち、1972年に「迷信」「サンシャイン」でグラミー賞に輝きます。
スティービー・ワンダーは数多くのヒット曲がありますが、曲のジャンルが幅広く単にソウルミュージックだけにとどまっていないところも彼も偉大さを物語っています。
この後、「レゲエ・ウーマン」「イズント・シー・ラブリー」「愛するデューク」や「心の愛」などなどビッグヒットをこの世に送り出すことになります。
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それでは、スティービー・ワンダーで「悪夢」をお聴きください。
独特のイントロがゾクゾクします。

70年代で忘れてならないのがディスコブームです。いまでは「ディスコ」ということばが死語になりつつありますが、70年代から80年代を過ごしてきた我々にとってディスコミュージックも懐かしい名曲が多くあります。また当時の音楽シーンの一角を担ってきたことには間違いありません。
そこで、今回から名曲シリーズに新たに「ディスコ編」を追加したいと思います。

ディスコ編の輝ける第1回目はレア・アースの「ゲット・レディ」です。不滅のNO.1ディスコソングの呼び声が高いこの曲は1970年に発表され全米で4位にランクインしています。
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レア・アースはアメリカ出身の白人ロックバンドでありながら、ソウルミュージックの殿堂ともいえるモータウンレコードと契約した異色のグループです。
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「ゲット・レディ」はスモーキー・ロビンソンが作曲しテンプテーションズが1966年にリリースした曲のリメイクとして発売されたのですが、原曲をしのぐヒットとなり一躍彼らはメジャーとなりました。
原曲は21分にも及ぶ超ロングバージョンがライブで収録されていることも珍しいことでした。

70年代の日本のディスコでこの曲がかかると一気に盛り上がるという光景が幾度と繰り返されていました。この頃のことを知っている方には懐かしい思い出がよみがえってくるのではないかと思います。

それではレア・アースで「ゲット・レディ」をお聴きください。

さて今回は世界的に最も売れたミュージシャンの一組である「アバ」です。
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数あるヒット曲の中から「ザッツ・ミー」を選びました。

一応アバについてさらっとおさらいをしておきます。
アバはスェーデン、ストックホルム出身の男性、女性2人ずつの4人グループです。
アグネッタ・フォルツコグ、ビョルン・ウルバース、ベニーアンダーソン、アンニ=フリッド・リングスタッドの4人で1974年から活動しています。
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元々は「ビョルンとベニー」という男性デュオで活動していました。1972年に「木枯らしの少女」が日本でもヒットしました。以前にもこの名曲シリーズその72で紹介しました。ただその当時から女性2人もバックコーラスとしてレコーディングなどに参加していたようで、もうすでに「アバ」が出来上がっていたようです。
以前は「ビョルン&ベニー、アグネッサ&アンニ=フリッド」という長い名前だったのを、マネージャーが4人の頭文字を適当に並べてグループ名を「ABBA」と表記したことからこの名前になったと言います。

一時は2組のカップルで結婚しましたが、その後離婚しています。それを機にグループも1982年に解散へと追い込まれました。
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1976年の「ダンシング・クイーン」が世界的にヒットし日本でも一躍有名になったと記憶しています。
あの当時そこら中でこの曲が流れていましたね。その後も「チキチータ」「ヴーレヴー」などなど、とにかく発表する曲はすべてヒットする驚異的なグループでした。
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なかでもこの「ザッツ・ミー」は僕のお気に入りの1曲です。イントロから流れるようなメロディでヴォーカルに入っていくところが好きです。

また、アバの代表曲を網羅したミュージカル「マンマ・ミーア」も大成功を浅め、2008年に映画化もされています。
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2016年に久しぶりに公の場に4人がそろって集まったそうです。
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それではアバで「ザッツ・ミー」をどうぞ。

さて今回は、アメリカ、マサチューセッツ州ボストン出身のその名も「ボストン」です。
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デビューヒットとなった「モア・ザン・ア・フィーリング」(邦題:宇宙の彼方へ)をご紹介します。
ボストンはややポップなロックですが、すごく好きなバンドの1つです。この曲も、まあ名曲中の名曲といっても過言ではないと思っています。

あまりにも有名バンドなので、あまりあれこれ述べる必要はないかと思いますが、簡単に説明しますと、非常に音楽の才覚に優れたトム・シュルツがほぼ一人であらゆる楽器を演奏し、多重録音によって作り上げました。
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7歳からピアノを習い、マサチューセッツ工科大学時代にギターを覚えたそうです。
音楽を聴いてもらえばわかりますが、並みの出来ではありません。デモテープを持ち込まれ聴いた大手レーコード会社の担当者は「現存するあらゆる作品の中で最も素晴らしい作品だ」と最大の評価をしたと言います。
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ブラッド・デルプのボーカル以外すべての楽器をトム・シュルツが担当し、多重録音の技術で時間をかけて完成させています。
デビューに合わせ、ライブ活動を行うために急きょオーディションが行われ、メンバーが集められるという前代未聞な話だったようです。
デビューアルバムは予想通り大ヒットします、まず音楽性のクオリティの高さ、メロディ、ハーモニーの美しさ本当に素晴らしいアルバムです。
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ブラッド・デルプ氏も2007年に亡くなっておられます。
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1978年セカンドアルバム「ドント・ルック・バック」もヒットしましたが、その後レコード会社とトラブルになり活動は一時休止されます。
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CBSからMCAに移籍し1986年にサードアルバム「サード・ステージ」を発表、シングル「アマンダ」が全米1位に輝きます。この曲もいいですよ。
ギターの音色が素晴らしく聞こえるんですよね。
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では、ボストンのデビューヒット「モア・ザン・ア・フィーリング」(邦題:宇宙の彼方へ)をお聴きください。

 

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