舘祐司の気ままなブログ

カテゴリ: 感謝

今日以前の部下であった柴田くんと昼食を共にしました。彼に会うのは約半年ぶりのことです。
柴田くんと書きましたが、今や柴田社長と呼んだ方がいいのかな。
彼は僕と営業の仕事をしていました。僕があと数年で定年退職する見込みだったため、その後釜を彼に引き継ぐべく僕と同行して取引先の代表の方などと顔合わせしたり 、営業現場の経験を積んでもらっていました。そんな関係ですから仕事の時はしょっちゅう電話なりメールなりで連絡を取り合う間柄でした。
彼はとても頭の回転が速く、2つか3つ言えば大体意思が通じて、気持ちよく仕事をさせてくれます。

しかし予想外に会社が廃業となったため事態は急展開し、彼が一念発起して起業してくれたのです。2つの事業のうちの一つの事業をほぼ全て請け負う形となり、従来の取引先の受け皿となってくれました。それは大変ありがたいことで、僕も全力でバックアップすることを約束しています。

半年の間にいろんなことがあったようで、僕にその話を聞いてもらいたかったようでした。新規の取引先から受注したことなど大きな業績を聞きました。そこに行き着くまでの道のりは決して平坦ではなかったはずです。産みの苦しみのようなことはよく理解できます。ですから僕はそれは素晴らしいと褒め称えました。社長ともなると会社内ではおそらく誰からも褒められることはないでしょう。本人も言っていました、喜びを共有できる人が近くにいないのが寂しいと。まあ大抵そういうもんです。

他の社員のその後の情報なども聞き、みんなそれぞれなんとかやってくれてるようで少し安心しました。 
コロナで人生を狂わされてしまい本当に気の毒な人が多くいます。そんな中頑張ってくれてるのは大変素晴らしいことです。 

柴田くん以外にもう1人仕事の上で僕が信頼しているKさんの話題になりました。 彼にも会いたいねという話をすると、Kさんも僕に会いたがっているということで、次回は3人で食事でもしようかということになりました。Kさんとはコロナになる前からあっていないので2年ぶりくらいになるのかな。ちょっと楽しみが増えました。コロナになってから極力人と会食などしないようにしてきたので、こういうのは久しぶりのことになります。

なんやかんやで気がつくと2時間近く経っていました。とても楽しい時間でした。 

 

1年前まで名古屋で暮らし、しょっちゅう会っていたT君が久しぶりに名古屋に来るというので、お会いしました。
64D5C844-D324-4775-97F3-6F8C127A0E6A

これは去年の2月にお別れ会をした時の写真です。その時以来の再会です。
55089AC1-E544-4B1B-9C5F-CDBEDF57773F

ちっとも変わってないですね。強いて言えば、ヒゲがなくなりビジネスマンらしくなったことくらいでしょうか。もう1人のちょっとぽっちゃりしたK君は、話によると激ヤセしているとか、2人とも見ていないので、会って見てみたいね、と意気投合しました。
 

僕が一番気になっているのは仕事のことです。

人材派遣関係の仕事のようで、それもどちらかというと海外の人を企業に斡旋したりするそうです。もともと彼は中国語が堪能で、転職の際はそのスキルを生かせる仕事を探すようにアドバイスしていましたのでいい線いってます。ただしまだ中国語を発揮できる場面は無いようです。

仕事関係で知り合ったある外国人の話題になりました。スリランカ人の女性ですが、ちょっと動画をみてください、と言うので見てみると。自己紹介をしている動画でした。とても流暢な日本語を話しているのには驚きました。つなぎの「あの」とか「で」とかとても自然に話しています。下手な日本人よりもしっかりと話していると思いました。日本に留学して学んだようですが、英語に比べてかなり難しいと言われる日本語をあれだけ綺麗に話すことができるというのはかなり能力が高いですね。

また、IT関係のエンジニアなどを扱った時には、インド人や台湾人などのスキルの高さに驚いたと言います。そうやってグローバルな人間関係ができていくのはとてもいいことだと思います。 

彼もそろそろ結婚を考えてもいい年齢ですので、その話題に触れると、彼女はいるもののまだまだといった感じでした。経済的な面でも安定したら、落ち着いて結婚したいという願望は持っているようです。

彼は東京勤務ですが、勤める会社の本社は名古屋にあります。現在は、中区栄なのですが、近々移転するという話しで、それが北区の黒川あたりだというんです。そこで住所を聞くと水草町、「えっ?」調べてみると、僕が勤める会社の目と鼻の先でした。2人してビックリです。こんなことってあるんですかね。どこまで縁が深いのか。

今回は仕事で名古屋に来たのですが、少し時間に余裕があり、前職の仲間たちに何人か会うことができて良かったみたいです。

次いつ会えるのかわかりませんが、お互いその日まで頑張ろうと言ってお別れしました。

誕生日のプレゼントまでいただいてありがとうございました。
ゴルフクラブのネクタイピン、大切に使わせてもらいます。
2A835D39-5DBD-4914-B4A4-2D5BBD5BCE17

それからお土産でいただいたくず餅も美味しくいただきましたよ。 
4BD48307-7946-4481-AC1A-EAA578010F4F


2018年12月28日で「気ままなブログ」が3周年を迎えます。
今この時に思うことは、あっという間の3年間だなあということです。ちょうど1年前にもブログを書いています。

年の瀬になると、テレビ番組でも「この1年を振り返る」?みたいなことが多いですね。
という訳で今日はこの1年間を振り返ってみます。
a25a16a9
(写真は2017年11月の還暦同窓会より)
まず何か変わったことがあったかと言えば、音楽ネタが増えたように思います。
最近では読書ネタが減っています。読みたい本はあるのですが、なかなか時間が取れません。

また、仕事上出張が減っているため、例えば移動中に読書タイムがあったのですが、それが少ないのも要因かもしれません。新幹線の車中は最高の読書タイムですからね。

今年の1月は大変厳しい寒さで、日本海側では大雪の被害が大変でした。
2123ffd5

そして2月は平昌オリンピックでの日本人選手の大活躍に日本中が興奮する毎日でした。そして満60歳の誕生日を迎え、還暦という大きな節目になりました。
6d0b4167-s



そして3月になると、早い春の訪れ、厳しかった冬の反動でしょうか。例年になく早い桜の開花で、入学式の頃にはすっかり葉桜状態でした。
eeec8a7c-s
取引先のお葬式に参列し、感動で涙がこぼれるのを抑えきれなかったこともありました。

そして4月は、なんと言っても気の置けない仲間との還暦旅行を楽しみました。以前から計画しこの旅行を一番楽しみにしていたK君との最後の旅行になってしまいました。この旅行のあとK君は一人旅立ってしまったのです。でもK君はみんなの心の中にずっといます。
c1006c2c-s

5月になると、日大アメフト部問題で連日メディアは大忙しでした。思えば、今年ほどパワハラ、セクハラなどの告発が話題に上った年は知りません。
6月はサッカーのワールドカップでサムライジャパンが決勝トーナメントに進み、日本中で大騒ぎとなりました。また、同時にサポーターたちのゴミ拾いが世界中から賞賛を受けたことは、大変誇りに思いました。
dece4551

7月には、6年ぶりとなるap bank fesが開催され、久しぶりに夏フェスに行きました。フェスは楽しかったですが、帰りの新幹線で、妻が熱中症になるというアクシデントも初めて体験しました。
3c0760ee-s

8月に入ってすぐに、前述のK君とのお別れの日が突如やってきました。病気のことは皆知っていましたが、あまりの突然さに、最初に聞いた時には呆然として言葉を失ってしまいました。
9月になると、7,8月と猛威を振るってきた暑さもひと段落となり、秋の気配すらしていきます。
火星が近く大きく見えることなど天体のことを綴っています。自然はいろんなものを見せてくれます。

10月の出来事は、娘が出産し、初めての孫が誕生したことです。
59b71833-s

嬉しい反面、遠方で一人子供を産み育てる娘のことがとても心配でした。あれから2か月経ち、最近では笑顔も出るようになったそうで、孫ワールドになる日が近づいているのかもしれません。
そして11月はなんと言ってもポール・マッカートニーのライブを見れたことでしょうね。さすがに天下のビートルズ、一人でも圧倒的な存在感が感じられ、超一流のパフォーマンスを肌で感じることができて幸せでした。
5545f84e-s

オウム返しするおもちゃとの出会いもとても面白いことでした。
9637cae5-s

12月です、エリック・クラプトンとクイーンの映画を見ました。
ee4b1424

6880e078-s

トップミュージシャンであった2人の生きざまをみて感動しました。いかに世界的なミュージシャンとは言え、家に戻れば一人の人間です。
いろんな苦悩と戦いながら、日々生活しているのです。

急ぎ足で1年を振り返ってみました。
皆さんの1年はどんな年だったでしょうか。
僕は初孫が誕生したことが、トップニュースです。大きな意味で家族が増えたことになりますから。
これからの成長を静かに見守っていきたいと思います。

昨日は東京の娘のところに行ってきました。

それはお孫ちゃんと娘に会いに行くためです。

そうなんですついにというか、とうとう孫ができました。
9D515639-3E65-4147-9CAB-3CDB39581BB4

初めて抱かせてもらいましたが、ちょっとおっかなびっくり、正直なところ怖いですね。生まれたてですから本当に小さくて、でもしっかりと泣いたり乳を吸ったり力強く人生のスタートを切っています。

生まれたのは10月17日です。その前日から出産の兆候があり、入院してその時に備えていたようですが、陣痛の痛みが相当凄かったと言っていました。娘によると「死ぬかと思うくらい辛かった」 そうです。

17日のお昼過ぎに妻からラインで、母子ともに無事で生まれましたと、二人の写真付きで送られてきました。とにかくまずはホッとしました。娘は大仕事を終えてスッキリといい顔をしていました。隣にいる赤ちゃんは当たり前ですが、とても小さくて初々しいです。その写真を見ていたら何故か目頭が熱くなりました。自分の娘の誕生の時でもこういうことはなかったので、何か不思議な感じがします。
娘にはラインで「おめでとう。よく頑張ったね。まずはゆっくり休んでください」と労いの言葉を送りました。
実は16日の時点では帝王切開という話でした、しかし出産直前に院長先生の判断で普通分娩に切り替えたそうです。もちろん普通がいいに決まってますからそれは本当に良かったです。

そんなことで、17日の無事出産という知らせでモヤモヤソワソワしていた心がパッと晴れたのです。

よくお乳を飲んでいました。母乳も出るようで幸せなことです。 
赤ちゃんとのやりとりを見ていると、もうすっかり母親になっていました。

娘は「バアバとジイジだよ」 って話しかけていましたが、全く実感が湧かないですね。(笑)

娘の友人がお見舞いに来てくれたので、バトンタッチして帰路につきました。と、ここまでは良かったのですが…

品川駅まで来るといつになく混雑しています。週末の夕方だからかなと思っていると、とうとう人の列で改札まで行けなくなりました。これは異常事態だと電光掲示板を見ると姫路駅で人身事故があり、全線運転を見合わせているとのこと。
67619F40-7497-47A1-8760-5EBAD196322C
ここでようやく状況がわかりました。引き返す人と進む人とで改札前の広いスペースが人でぎっしりと埋まっている状態です。たまにニュースで見るような光景ですが、いざその場に居合わせると大変です。
いずれにせよ復旧を待つしかありません。

結局約2時間遅れで名古屋に帰ってきました。
疲れましたが、元気そうな孫と娘の顔が見れて良かったです。

 


先日あるお葬儀に参列いたしました。
今まで経験したことがないほど感動するお葬儀でしたのでご紹介します。

時間を少しだけさかのぼります。
それは、その葬儀の4日前にかかってきた1本の電話から始まります。

取引先のH次長からでした、「相談ですが、実は〇〇部長の奥様が亡くなられ、昨年9月の披露宴ビデオのダイジェストを葬儀で放映したいと思うのですが、編集お願いできますか?」
・・・??
瞬時には、話がよく呑み込めませんでした。ひとまず担当者から連絡させますということで電話を切りました。

その後、詳しく聞いてみると、K部長と奥様は、同じ会社の社員とパートさんという間柄だったそうです。
奥様からガンの告知を受け、K部長は「結婚」する決断をされます。
昨年の3月に入籍され、9月には披露宴も行われました。

やがて病気が進行し、幸せな結婚生活も長くは続きませんでした。
早すぎます、まるで映画のストーリーのようなお話です。

BlogPaint

そして葬儀が始まりました。

仏教儀式の後、社員を代表され弔辞が読まれました。
途中からは声を詰まらせ涙ながらに読まれていました。とても慕われていたことがうかがえます。
本当に多くの皆さんから親しまれ、太陽のような存在だったんですね。

会葬案内の黙読がありました。

次になんと奥様の生前の肉声で、皆さんへの感謝の言葉が述べられました。


病気発症後、職場復帰に向けて一生懸命治療されていた時に復帰を社長に直談判されたこともあったそうです。そのくらいバイタリティーのある女性で、男性社員からも一目置かれていたようです。

そして、例の結婚式、披露宴のビデオ放映が始まりました。
お二人の幸せいっぱいの笑顔が広がっています。
控室でメークをしているところ、挙式の模様、披露宴での満面の笑みが次々に映し出されます。

一気に目頭が熱くなりました、自然に涙がこぼれ落ちます。
喪主の旦那様はハンカチで目を抑えたまま映像を見ることもできないご様子でした。
会場全体が感動に包まれました。もう皆涙が止まらなくなっていました。

式場のスタッフも全員泣いておられたと思います。

そして、最後に喪主のご挨拶が始まります。
「妻からはいろんなことを学ばせてもらいました。妻は病気が進むにつれ、歩くことができなくなり、寝返りをうったり、そのうち水を飲むことさえもできなくなっていきました。日常の当たり前のことができなくなっていく姿を見て、それは当たり前ではないんだということをわからせてもらいました。」

「私は二十数年葬儀の仕事に携わっていますが、喪主を務めるのは初めてのことです。大切な人をなくすことがこんなに辛いことなのか。こんなにも悲しいことなのか。・・・初めて知りました。」
「これからはこの経験を忘れずに生きていきたいと思います」

辛くて悲しいことだとお察しいたします。ただそれはあくまでも想像の域だけで、体験したことのない私には本当の意味で理解することはできていないと思います。

ふと、「もし、今妻に先立たれたら」と頭の中で考えてみましたが何も想像できませんでした。

K部長は人として素晴らしく、本当に芯の強い立派な方だと思いました。

たぶん僕だけではなく、ここに参列されたすべての人が、大きな感動を感じられたことと思います。

まだ51歳というあまりにも早すぎる旅立ちに悲しみは深いですが、天国で安らかにお眠りになることをお祈りいたします。(合掌)

このページのトップヘ