舘祐司の気ままなブログ

カテゴリ: 昔のこと

先日テレビで映画「JFK」を見ました。実際の映像なども絡め、とても見ごたえがありました。

そして15日の夜には池上彰さんの「現代史を歩く」番組で「JFK」の足跡を追っていました。
JFKといえばもちろん、アメリカの第35代大統領のジョン・F・ケネディのことです。
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テキサス州ダラスでのパレード中に凶弾に倒れそのまま帰らぬ人となりました。その直後に暗殺犯として収監されたオズワルドは警察内で射殺されるという前代未聞の事件になりました。映画で細かく解説されていますが、3方向から銃弾を受けていることや重体のケネディを診察した医師の記録がないことなど、矛盾が多く疑惑の山です。国家、警察、マフィアなどがグルになってもみ消しにかかった節もあり完全に解決していません。

大統領在任期間は3年足らずと短いですが、今でも多くのアメリカ国民の記憶に残り絶大な人気があるとされています。

この番組は大変興味深く見させていただきました。
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特にジョンの父親、ジョセフ・パトリック・ケネディについてはあまりよく知らなかったのですが、いろんなことがわかりました。例えば、ジョンの兄、長男のジョーは大変優秀でジョセフは将来アメリカの大統領に育てるつもりだったそうです。
しかし、不幸にも若くして戦死してしまい、その夢を次男のジョンに託したのです。
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ジョンは兄に比べるとそれほど優秀ではありませんでした。ハーバード大学に入学しますが、それも兄の成績が良かったため恩恵を受けたにすぎませんでした。

ジョンは戦時中、日本の「天霧」という駆逐艦に衝突され彼ら10名が乗ったボートは沈没します。
そこから自力で近くの島に泳ぎ着き、何とか助けを呼び乗組員らの救出に成功します。戦地から帰還後そこでの活躍ぶりを父ジョセフは見逃さず、英雄として取り上げるよう雑誌社に売り込みます。
そのかいあってジョン・F・ケネディの名は全米に知られるようになったと言います。
当の本人、ジョンは自分が英雄視されることをあまり望んではいなかったそうで、皮肉なものですね。元々は結構人見知りする性格だったようです。

知名度の上がったジョンは29歳で下院議員に当選しました。この時、実は裏で父ジョセフがかなりの資金援助を行ったそうです。そののち上院議員になり大統領へと階段を上がっていくのですが、常に父が黒幕の存在で、金で票を買っていくようなことをしていたようです。

ではなぜそのように資金が潤沢にあったのか、という疑問がわきますが、ジョセフの妻は名門フィッツジェラルド家の出身だったのです。
ジョン・F・ケネディのFはフィッツジェラルドの略なのです。

ケネディ家のルーツはアイルランドからの移民でアメリカに渡ってきました。ジョンの曽祖父の時代です。その頃は大変貧乏だったそうです。しかし、ジョンの祖父パトリック・ジョセフ・ケネディが実業家として財を成し、下院議員、上院議員となりました。ここからケネディ家も名門の仲間入りとなりました。

1961年ジョンは大統領選挙で僅差でニクソン候補を破り大統領に就任しました。この時まだ43歳の若さです。
そして1963年全米を震撼させる事件が起こります。在任中の大統領の暗殺というショッキングな事件です。
狙撃された時の映像が残っており、何度も放映されていますが、妻であるジャクリーンさんが撃たれた直後に飛び散った脳みそを拾い上げている光景が衝撃的です。
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ジャクリーンさんとは36歳のとき結婚されています。
その二人の長女として生まれたのがキャロラインさんです。
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キャロライン・ケネディさんは駐日大使を2013年から2017年まで務めています。
彼女の人気ぶりはすごかったこと、今も記憶に新しいと思います。
1957年生まれで現在60歳です。偶然ですが僕と同学年ですね。
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1969年「スイート・キャロライン」という曲がアメリカで発売されヒットしました。
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この曲はニール・ダイアモンドさんが作詞作曲で自ら歌っています。
後日ニール氏はキャロライン・ケネディさんを歌ったものであると明かしています。
また、そうではないという説もあり真実は不明ですが、前述のようだったらいいなと思います。

確かに可愛いらしいお嬢ちゃんです。
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前回の続きです。

27歳の時、結婚しました。彼女の強い希望で教会式で挙げました。
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この時のエピソードで、彼女の希望は「街の小さな教会」でしたので、ある教会にいき「ここで結婚式を挙げたいのですが?」と尋ねると「キリスト教徒ですか?」と聞かれ「違います」と答えると丁重にお断りされました。同様にほかの教会でも断られ、最終的に布池教会になりました。
2回神父さんのお話を聞くことが条件でした。
今思うとキリスト教への入り口を作っておられたのかもしれません。
当時はまだほとんど神前式の時代でしたので珍しかったですが、それから10年もたたないうちに教会式が主流になりました。

結婚してすぐに2人の子供に恵まれました。
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昔から息子が欲しいと思っており、女の子と聞いて少しがっかりしましたが、すぐに性別などまったく関係ないことに気づかされました。「子は宝」と言いますが、よく言ったものです。
2人目も娘でしたが、その頃にはむしろ娘でよかったと思えるほどに心変わりしていました。現金なものです。
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とにかく家族のことを大切にと一生懸命仕事をしてきたつもりです。

2人の娘たちは本当にまっすぐ育ってくれて、妻とともにとても感謝しています。

そして時が経ち、娘らも成人して何とか社会人となり子育ての責任は果たせたのかなと思います。

2012年初のミスチルライブ、ナゴヤドームです。ミスチルファンはここから始まりました。
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2013年日本ガイシホールのライブです。
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2014年56歳の誕生日に時計をプレゼントされました。今でも愛用しています。
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同じく2014年11月九州旅行でかねてから念願の「ゆふいんの森」号に初めて乗りました。
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2015年2月会社の旅行で長崎へ、バックに移っているのは軍艦島(端島)です。
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2015年8月ミスチル「未完」ライブです。
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2016年2月沖縄旅行での一コマ、三線を持って。(ただ持ってるだけです、引けません)
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2016年10月恵那峡にて。
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2017年2月 59歳の誕生日にホテルのディナーを娘からプレゼントされました。
奥に見えているのは名古屋城です。

2017年6月ミスチル「Thanksgiving」ツアー。
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2017年8月横浜みなとみらいでピカチュウと2ショット。
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2017年10月還暦同窓会です。
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そして2018年2月を静かに迎えております。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

還暦記念として懐かしい写真でこれまでの人生を振り返りたいと思います。

昭和33年(1958年)名古屋市北区の近藤助産院で産声を上げました。
最初はなかなか「オギャー」の声が出なかったそうで、心配されたようです。

まずは、僕が持っている中で一番古い写真です。
1歳半から2歳ごろでしょうかね。顔がボールみたいに丸くてポチャポチャです。
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「行って来まーす」朝、幼稚園に行くときのショットだと思います。我ながら可愛いです。(笑)
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小学校5年生ごろ「海洋少年団」に入団していました。夏休みで全国大会に行った時のショットです。
隣は同級生です。
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小学校を卒業した春休みに学生服を着て撮影しました。まだ、坊主頭になる前です。初々しい。
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中学は校則で丸坊主でした。このころからロックやポピュラー音楽をよく聴くようになりました。
(MUSIC LIFEを毎月購読してました)
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高校生の頃です。たぶん修学旅行に行った時のショットです。
(月刊MEN'S CLUBを購読してました)
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同じく高校生の頃だと思います。隣は3歳下の妹です。(2015年没)
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20歳から波乗りを始め、どっぷりとのめりこんでいました。
(たぶん赤羽根海岸のロングビーチだと思います。この辺りがホームグランドでした)
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毎週の休みはいつも海にいました。

初めての海外旅行でハワイに行きました。向こうで買ったサーフボードです。(もう勢いですね)
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結婚する前、波乗り旅行で三重県尾鷲方面に行きました。
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「さあ、行くぞー」勇んで海に向かうところです。(この表情必要ないです)
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彼女の家の部屋でミッキーの帽子をかぶって。
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25歳ころから冬はスキーを始めました。
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この頃は休みの日になると、夏は海、冬は山というアクティブな時代でした。
ひとまず前編はこの辺で終了します。
後編は結婚してからです。

1958年(昭和33年)2月27日にオギャーと誕生してから、もうすぐ60年目を迎えます。

さて僕が生まれた昭和33年とはどんな年だったのでしょうか。

まずは主な出来事です。
・東京タワー完成(スカイツリーができるまでは日本一高いタワーでした)
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・1万円札発行(現在のものとは違い聖徳太子の肖像画が描かれています)
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・巨人・長嶋茂雄選手、4打席4三振デビュー
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(相手が国鉄の金田正一投手というのはあまりにも有名です)
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・売春防止法施行(ということはそれまで取り締まる法律がなかったんですね)
・フラフープ流行(やりすぎると腸ねん転になるとかいう噂があったような)
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そのほかにはロカビリーブームがあったり、チキンラーメンがヒットした年でもあります。
ちなみに2月8日は「ロカビリーの日」だそうです。
1958年2月8日に有楽町の日劇でウェスタンカーニバルが開かれたことが由来だそうです。
ロカビリーは日本のカバー曲のルーツだと言われています。

また、当時流行ったのは石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」や「おーい中村君」なんて言う曲が売れていたようです。
映画界では、邦画は「忠臣蔵」洋画は「十戒」がヒットし人気があったようです。

しかし考えてみると、昭和20年の太平洋戦争終戦からまだ13年しかたっていないわけで、よく東京タワーなど建設できたものだと感心します。


昭和39年にアジアで初めて行われる東京オリンピックに向かって、日本全体が明るい未来に向かい活気にあふれていた時代かもしれません。

さて今年もいよいよ残すところあとわずかとなってきました。
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12月は師走と言って何かとせわしい月のイメージがありますね。
カバ丸くんたちも大忙しです。
クリスマスツリー、大掃除、餅つき、年越しそばに除夜の鐘ですか…

ところで「年神様」とはいったい何でしょう?
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年神は正月に各家にやってくる来方神のことだそうです。
今も残る正月の飾り物は元々年神を迎えるためのものなのだとか。
門松は年神が来訪するための依代(よりしろ)=(対象物のこと)で、鏡餅は年神へのお供え物なんだそうです。
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ちなみに年神様は家々にやってきて生きる力や幸せを授けてくださると考えられています。

またしめ飾りを玄関などに飾りますね。
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神社にしめ縄を張るのと同じ理由で、自分の家が年神様をお迎えするのにふさわしい神聖な場所であることを示すために始まったと言われています。
みな意味があるんですね。

おせち料理なども元々、昔、正月はどこも店が開いていないため、食材を調達できないために作り置きしておくものだったのですが、今となってはスーパーなど正月早々から営業しているためそんな必要はまったくなくなってしまいました。
ただ名残として今もあり、現在は正月向けの高級料理という位置づけになりました。

話しがお正月になってしまいました。

年末に大掃除をするのも、清潔にして年神様をお迎えするためなんですね。
つまり、大掃除、鏡餅、しめ縄、門松という風習は全て年神様に関連しているということです。

そして年が明けると神社に初詣に行きます。
日本は古来より神を崇拝してきた国なんだということが改めてわかります。
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もうすぐ新しい年を迎えます。
皆様にとっていい年になりますようお願いいたします。

これも「神様に」ということになりますか?



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