舘祐司の気ままなブログ

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先日清須城に行ってきました。お城を見るのを趣味としていますが、久しぶりです。清須城は名古屋市の中心から北西のところに位置しており、名古屋城から車で2、30分のところにあります。
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しかし、僕は今まで行ったことがなく初めて訪れました。案外近くの名所って行けてないですよね。犬山城に初めて行ったのもまだ2、3年前のことです。
清須城は名古屋の外環を走る名二環という高速道路からよく見ることができ、少し遠目からその姿を拝む程度でした。 

清須城を間近で見た感想は、名古屋城と比較すると小さいので可愛らしい感じがします。
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よく知られているのは、織田家の本城として長く使われており、一時期は織田信長が居城とした時代もあったということです。桶狭間の戦いにはこの城から出陣したと記録に残っているようです。
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1609年に徳川家康によって清須から名古屋への遷府が指令されると、翌年清須城下町は名古屋城下に移転され、1613年に名古屋城の完成とともに廃城になったようです。名古屋城築城の際に清須城天守の資材が利用され、北西隅の櫓(やぐら)は「清須櫓」と呼ばれ重要文化財に指定されています。
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現在の清須城は平成元年に鉄筋コンクリート造で建てられたものです。創建当時の絵図が残っていないため、外観や規模は桃山時代の城を想像して建てられているそうです。


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城のすぐ横を五条川が流れており、大手橋から望む清須城はなかなか絵になります。
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お城の脇には日本庭園が作られており、その佇まいには風情が感じられます。
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先日、小牧山に初めて登りました。車で30分ほどのところにありますので、この付近を通ることはよくありますが、登るのは初めてのことです。
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少し登りかけると「れきしるこまき」という建物があります。史跡小牧山の戦国時代に信長、家康、秀吉が関わった城の紹介を映像で表現されているそうです。
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標高は86mとまあ、山としては高くないですから、気軽に登ることができます。しかし、実際に登ってみると結構足に来ます。(笑)
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30分ほどかけて山頂まで到達すると、お城があります。実はこの建物はお城ではなく、天守閣風の建物で小牧市歴史館として1967年に建てられたものです。
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かつて織田信長の居城がこの山頂にはあったんだそうです、知りませんでした。
忍者の方が入口に立ち、警備(?)をされていましたので、一緒に写真をお願いすると、小道具まで用意していただきしっかりとポーズをとってもらいました。
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紅葉とお城は絵になりますね。
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ここは桜の名所でもあるそうで、その頃の写真はこんな風らしいです。
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かつて信長の居城であったことから、石垣や土塁など遺構が発掘されています。
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その頃の小牧山はこんなイメージだったのではないかというイラストです。今は、うっそうと樹が茂り見る影もありません。
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昨年6月、この場所で小牧市による無許可植樹と遺構破壊が行われ大きな問題になっていたようです。
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このような歴史的な建造物はしっかりと管理し守っていかなくてはなりません。
本来史跡の管理者である小牧市が自ら史跡を毀損した責任は大きいと考古学者の方からも厳しくご意見をいただいていたようです。
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お城を見るのが好きなんですが、ここ最近はとんとご無沙汰をしておりました。
そこで名古屋からは割と使いのですが、まだ一度も訪れたことのなかった犬山城に行ってきました。

流石に大型連休中ですね、すごい人出です。
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名鉄の犬山駅方面から少し歩くと「古い町並み」 という一角に来ます。犬山城下町として賑わい、この通りには様々なお店が、どうでしょう100軒以上並んでいます。この通りをまっすぐ通り抜けると針綱神社そして犬山城へとつながります。

三光稲荷神社前でパチリ。
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鳥居が連なっているところはみなさんの写真スポットになっていて、混み合っていました。
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犬山城へは階段を何段も登っていかなくてはいけません。お年寄りや足の不自由な方は大変ですね。
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さて犬山城の入り口の門のところまで来ました。入場するにも列ができていました。
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入場券を購入し、中に入り、早速犬山城をバックに記念撮影です。
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この日は天気も良く、絶好の行楽日和と言いたいんですが、それを通り越して暑かったです。 
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天守閣に上がることもできるのですが、この日は上がるのに40分待ちとなっていましたので、諦めました。

もう一度門のところでパチリ。
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お城を出て針綱神社に戻ると、御新馬として馬が祀られていました。
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参拝して御朱印をいただきました。御朱印帳は四月祭礼のこの時期限定の特別なものでした。
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令和の新元号がとても新鮮です。 
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今日はものすごい人出で、ゆっくり見ることができなかったので、また日を改めて訪れたいと思いました。写真撮り忘れましたが、城のあたりからはすぐ脇を流れている木曽川を眺めることができ、ライン大橋などの眺望を楽しむこともできます。

次回の時には、僕のお城ウォッチには欠かせない石垣もゆっくり見てみたいです。 


先回の甲府に続き、今度は高崎城の城址です。

偶然ですが、止まったホテルのすぐ近くにありました。

甲府と違い山の上ではなく、平坦なところの石垣しか残っていません。
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おそらく本丸は小高いところに築かれていたのだろうと思います。 

東門の復元が残されていました。
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その昔通用門として使われていたそうです。
火災により消失してしまいましたがその後復元されたようです。 

お堀も多分昔の状況で残されているのでしょう。
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水門らしきものです。
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左手奥の建物は 群馬音楽センターです。

以前にも書きましたが、高崎は音楽の町です。 ベースギターをデザインしたオブジェもありました。
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お城は素敵です。❤️




 

甲府に行きました。
宿泊したホテルが近かったこともあり、以前から一度行きたかった舞鶴城公園に早起きして散策してまいりました。
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JR甲府駅のすぐ近くにあります。 

城と言っても建物はありません、城跡があるだけですが石垣はしっかりと残っています。
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僕は城を見るのが好きなんですが、建物もいいですが石垣も好きです。
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だって何百年も昔にこれだけの大きな石を集め、こんなに美しく城の土台を造るなんて素晴らしくないですか? 
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また敵が簡単に侵入できないように傾斜を考えて作られているなんて美しさだけでなくちゃんと要塞としても機能していたのでしょう。

しかし、あれだけ大量の大きな石をどうやって運び、どのように積み上げたのか、本当に不思議です。

今のように重機はありませんから多くの人の力だけで造ったわけです。


敵の侵入を防ぐためなんでしょう、狭い門があります。
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案内板も瓦屋根です。
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一番高いところからの眺望です。
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真ん中にある塔のようなもの、気になりますよね。
「謝恩碑」というものでした。
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大正時代に建設されたそうで、台座を含めた高さは約30メートルあるそうです。

一番高いところの様子です。
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