25日朝、日比英一さんがお亡くなりになったと新聞に報道されているのを見ました。
名古屋地区にお住まいの方なら日比さんを知らない方はいないのではないかと思うほど有名なキャスターです。
長い間夕方のニュース番組のキャスターを務めていらっしゃいました。
日比さんの思い出がよみがえってきました。
さかのぼること40年以上前、当時中学生の頃です。
栄のセントラルブリッジのすぐ東にパナソニックのビルがありそこの1階で
土曜日の午後に小さなイベントが開催されていました。
僕とK君とI君の3人で学校が終わると、自転車に乗りダッシュでそのイベントに参加していた時期がありました。
20~30人くらいでいっぱいになるくらいの部屋で司会の方がいて、新しい音楽を紹介したりクイズに答えると賞品をもらえたりするような内容でした。
その司会は当時CBCのアナウンサーの方が交代で担当されていました。
日比さん以外に荒川戦一さん中島公司さんなどもされていたと思います。
その時のエピソードがあります。
ある日のことです、クイズのコーナーになりました。
答えて当たれば、なんと「シカゴの名古屋公演のチケット」がもらえるという中学生の僕らにとってはすごいお宝でした。 (シカゴとはアメリカのロックバンドです)
「これは絶対にゲットしたい」と思いました。
まずK君が答えて1枚ゲットします。次に僕が答えてもう1枚ゲット、ここまでは順調でした。
その時20名ほどの人たちがそこにいたと思いますが、なぜか皆さん消極的で、 不思議にあまり手が上がりません。
僕ら中学生3人組だけが張り切っていたような感じでした。
さてこうなるとあと一人、やはり一緒に行きたいのが人情です。
ところが、ここから暗雲が立ち込めます。
次のクイズは不正解、その次のクイズも答えがまったくわからず頭を抱えました。
これが最後のチケットです。
すると業を煮やしたK君が「もうこうなったら一か八かで手を挙げるしかないぞ」と言って無理やり手を挙げさせたのはいいですが、当然答えに窮します。
I君はしどろもどろになりああもう万事休すかと思ったとき、司会の方がヒントを出してくれて何とか正解に導いていただけました。
たぶん、僕ら3人を一緒に行かせてあげようという温情だったと思います。
そして、今思うと周りの大人たちもそのような目で僕らのことを見てくれていたのかもしれません。
まさにその時の司会を務めてくださったのが日比英一さんでした。
その後3人で無事シカゴのライヴを見に行くことができました。日比さんのおかげです。
人生初めてのライヴ体験です。1972年のことです。
当時のチラシをネットで見つけました。すごいですね、こういうものが出てくるとは、驚きです。
そしてもう一つ、改めて驚きました。
CBCの主催だったんですね、そして偶然でしょうかパナソニック(当時松下電器)の協賛でした。
ライヴについてはまた別の機会に書きたいと思います。
その節はありがとうございました。感謝しています。
日比英一さんのご冥福をお祈りいたします。
名古屋地区にお住まいの方なら日比さんを知らない方はいないのではないかと思うほど有名なキャスターです。
長い間夕方のニュース番組のキャスターを務めていらっしゃいました。
日比さんの思い出がよみがえってきました。
さかのぼること40年以上前、当時中学生の頃です。
栄のセントラルブリッジのすぐ東にパナソニックのビルがありそこの1階で
土曜日の午後に小さなイベントが開催されていました。
僕とK君とI君の3人で学校が終わると、自転車に乗りダッシュでそのイベントに参加していた時期がありました。
20~30人くらいでいっぱいになるくらいの部屋で司会の方がいて、新しい音楽を紹介したりクイズに答えると賞品をもらえたりするような内容でした。
その司会は当時CBCのアナウンサーの方が交代で担当されていました。
日比さん以外に荒川戦一さん中島公司さんなどもされていたと思います。
その時のエピソードがあります。
ある日のことです、クイズのコーナーになりました。
答えて当たれば、なんと「シカゴの名古屋公演のチケット」がもらえるという中学生の僕らにとってはすごいお宝でした。 (シカゴとはアメリカのロックバンドです)
「これは絶対にゲットしたい」と思いました。
まずK君が答えて1枚ゲットします。次に僕が答えてもう1枚ゲット、ここまでは順調でした。
その時20名ほどの人たちがそこにいたと思いますが、なぜか皆さん消極的で、 不思議にあまり手が上がりません。
僕ら中学生3人組だけが張り切っていたような感じでした。
さてこうなるとあと一人、やはり一緒に行きたいのが人情です。
ところが、ここから暗雲が立ち込めます。
次のクイズは不正解、その次のクイズも答えがまったくわからず頭を抱えました。
これが最後のチケットです。
すると業を煮やしたK君が「もうこうなったら一か八かで手を挙げるしかないぞ」と言って無理やり手を挙げさせたのはいいですが、当然答えに窮します。
I君はしどろもどろになりああもう万事休すかと思ったとき、司会の方がヒントを出してくれて何とか正解に導いていただけました。
たぶん、僕ら3人を一緒に行かせてあげようという温情だったと思います。
そして、今思うと周りの大人たちもそのような目で僕らのことを見てくれていたのかもしれません。
まさにその時の司会を務めてくださったのが日比英一さんでした。
その後3人で無事シカゴのライヴを見に行くことができました。日比さんのおかげです。
人生初めてのライヴ体験です。1972年のことです。
当時のチラシをネットで見つけました。すごいですね、こういうものが出てくるとは、驚きです。
そしてもう一つ、改めて驚きました。
CBCの主催だったんですね、そして偶然でしょうかパナソニック(当時松下電器)の協賛でした。
ライヴについてはまた別の機会に書きたいと思います。
その節はありがとうございました。感謝しています。
日比英一さんのご冥福をお祈りいたします。
コメント
コメント一覧 (4)
私も、当時、毎週土曜日通ってました。当時15歳位です。自転車…という事は、お近くの小学校ですね〜^ ^ F小学校ですか?
色々なバンドのPV見たりとか音楽聴かせて頂きました。最後にクイズがあって、毎週行ってたので なかなか当てて貰えませんでしたが、ポスターとか貰ったのを覚えてます。
シカゴのチケット凄いですね〜。
良かったですね。
懐かしい話題 ありがとうございました。
日比さんのご冥福お祈りします。
F小学校だと一番近いですね。なんともっと遠くの北区のS小学校なんです。
今思うとよく行ってたなと、僕ら中坊で大人の世界が少し見れるようなワクワク感が多分背中を押してくれてたように思います。
おそらくあの中で中学生は目立ったのかもしれません。
僕ら勢いだけが取り柄のような感じで、司会の方も温情をかけてくださったように思います。
その分他の皆さんにはご迷惑をかけてしまったかもしれません。
古い音楽も改めて紹介していますので、よろしければ懐かしんでください。
よく考えたら、同じく、中学生でしたね。
私は、東区の中学ですので、割と近かったです。
きっと同年代ですね。
奇しくも、あのスペースで、同じ時間を共有出来たと思うと、嬉しくなります。
日々さんの訃報で、お知り合いになれたのも、日々さんのおかげですね。
当時は、CBCの深夜放送 ビップヤング にも良く投稿して読まれてました。HN 地味変度理屈 です。
失礼します。
実は僕も全く同じことを思っていました。
このブログにどのようにたどり着かれたのでしょうか?
SNSの力ですね。
僕らの世代がラジオの深夜放送の走りだったと思います。
CBCの土曜日の電リク、覚えてますか?
確か島津靖夫アナと女性アナだったと記憶していますが、電話かけまくっていました。
名前呼ばれた時は翌日学校の仲間内で盛り上がってました。
ああ、懐かしいです。