6月のことを日本の旧暦の呼称で水無月(みなづき)と言います。
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梅雨時期で普段よりも雨が多いのに水が無いというのは逆なように思えますが、みなづきとは「水の無い月」ではなく、「水の月」という意味だそうです。
10月の神無月(かんなづき)も同様で「神の月」という意味のようです。(この件は諸説あるようです)

それはさておき、6月4日(ごろ)に梅雨入り宣言されてからというもの、あまり雨が降りませんね。

どういう事でしょう。このままいくと水不足、節水、取水制限というような事態になりそうです。
(もう一部なっているかもしれません)
ダムの貯水量がかなり減っていて深刻な状況になりつつあると報道されています。

この冬の積雪量が少なかったことも影響しているようですが、こういう事態になると、つくづく我々は自然の恵みの中で生きているんだなあ、と感じます。

雨の水、雪解けの水、太陽の光、気圧差による風、そしてそれらによって樹木や植物や動物、地球上のあらゆるものがうまくバランスよく共存しています。見事に自然のサイクルが出来上がっています。


基本的には雨降りは好きではありませんが、水不足になると生活に支障をきたすので、降るべき時には一定量降ってもらわないと困ります。

ただし降りすぎも困ります。川が決壊して洪水被害になったり、山が土砂崩れを起こし人命に関わり、家屋などを破壊してしまうからです。物は修復することができますが、人の命は修復できません。

幸いこの名古屋地区は水資源には大変恵まれている地域で、いままでほとんど水道の水が制限された記憶はありません。よほどのことがない限りいつも蛇口をひねれば水が出る状態にあります。

本当に幸せなことです。しかし、空気がいつもあるように当たり前に思ってしまえばありがたみも薄くなってしまいますね。年を重ねるにつれそういう事にも気づかされるようになってきた今日この頃です。

こんな言葉があります。「人は生きているのではない。生かされているのだ」いささか仏教的ではありますが、いろんなものに感謝の念というのをいつも忘れずにいたいものです。

また、「生きているのは偶然の積み重なりだ」という人もいます。
なぜなら、どんな人にも平等に「死」の時は訪れます。それが早いか遅いかだけのことです。
従って、偶然生きているだけであって、いつ死が来てもおかしくはないということです。

水のありがたみから、ずいぶんと話が飛躍してしまいました。

いつも自分の周りのいろんなものに感謝して暮らしましょう。