文部科学省では2020年度の大学入試から、新センター試験の英語で民間試験を利用し、国語と数学で記述式を導入する予定でした。しかし、野党やメディアから批判が起こり、結局、文科省は導入を見送りました。

このことについて東京大学の教授を務める鈴木寛氏が興味深いことを語っておられましたので、今回のテーマにさせていただきます。

まず2021年から実施する共通テストに、記述式問題を導入しようとした理由についてこんな風に述べておられます。
~~(前置きとして)今の子供たちの多くは2100年まで生きるでしょう。AIが人間の知能を超えて社会に大変革がもたらされる「シンギュラリティ」が2040年頃にやって来るとされているので、彼らは人生の3分の2をシンギュラリティ後の時代に生きることになります。~~このことを踏まえて。

今、AIが大学入試を受験するプロジェクトが始まっているそうです。AIは記述式の東大二次試験の合格ラインにはまだ達していないのですが、マークシート試験では満点がとれているそうです。つまり、マークシート試験で測っている能力は、いずれすべてAIに置き換えられ、このやり方では「失業者の養成」にしかならない、と話しています。
~マークシート試験というのは、「人から与えられた選択肢の中から、一つ一つ重箱の隅をつつくように間違いを探して、消去法で正解を選ぶ」という試験です。これまでの工業社会では、マークシートで測れるような能力が必要とされていました。工場の生産ラインでは機械が製造をしても、製品の欠陥を見つけるのは人間の仕事だったのです。今まではそういった仕事が他にもたくさんありましたが、シンギュラリティの時代にはAIに取って代わられるのです。~
~だから、新しい学習指導要領や大学入試改革は、AIを使いこなし、AIにはできない、人間にしかできない能力をいかに身につけさせるかを主眼に置いています。~
しかし、多くの高校の現場では記述や論述に力を入れてこなかったのが現実のようです。

また、採点に関して、マークシート式に比べ記述式になると「ブレ」が生ずることを懸念されているという話がありました。実際そのとおりなのですが、例えばフランスの大学入試は記述式オンリーで4時間書いて書いて書きまくる試験だそうです。採点にブレはないかと尋ねると「人間が書いたものを人間が採点するんだから、バラつきが出るのは当たり前だ」と叱られたと言います。日本人とはこの感覚が決定的に違っているのですね。

そして、~「今回のことで本当によくわかったのは、日本社会というのは、どんな小さなブレでも許容しないということです。」「それは何十年もずっとマークシートで1点を争ってきて、ほんのわずかなブレも許さないということです。」「AI時代に大量の失業者を生み出すことよりも、25万分の1~4程度の採点のブレのほうを問題視する。大局や未来のことよりも、目の前のミスやブレにとことんこだわる民族になってしまいました。これこそまさにマークシートを続けてきた弊害と言えるのではないですか。」~まさに「木を見て森を見ず」ということでしょうか。とにかく、早く方針を定めて進まないことには、これから受験を控える高校生らは振り回されるだけで疲弊してしまいかねません。

AI時代がもう目の前に迫ってきているこの時代に、未来の日本を託す若い世代にどのような教育を施すのが正しいのか、大人たちは冷静に議論し、真剣に考えていかなくては明るい未来は見えてこないでしょう。記述式問題を通じて思考力・判断力・表現力を育成しようという理念があるということなのですが、試験の内容、方法を変えたら解決するという問題ではないように思います。確かに大学入試はマークシート式ですが、そのほかの多くの試験は昔から記述式に慣れ親しんでいます。
また、教育現場の疲弊を懸念され、日常の教育に必要な人件費や教育費にもっと予算を掛けるべきではないかという意見もあります。
大学入試の改革は入り口であって本当に大事なのは、入学後の学生らの取り組む姿勢だと思います。現在のように入学するのに壁が高く、卒業するときは壁が低くなるシステムでは意味がなく、むしろ逆なのではないかと思っています。

そういったことも踏まえ、日本の教育のシステムを見直すことが重要な課題だと思います。
「失業者の養成」ばかりしていては、AIに人間が使われるような映画の世界が現実になる日が来るかもしれません。

※NEWSポストセブンの記事から抜粋しました。