10日の早朝、1本の電話が入りました。

「平松さんが亡くなったそうだ」 …「え?」突然のことで一瞬言葉を失います。


昭和64年10月頃のことです。仕事関係のKさんに仕事を紹介してもらえないかと相談していました。
快く引き受けていただき、車で連れていかれたのが今の会社「中日映像出版」 でした。当時、新栄に事務所がありました。中区新栄というと名古屋ではとても聞こえがいいですが、実際はかなり古いビルの2階フロアを事務所として借りていました。

事務所に入ると、事務の女性が対応していただき、通されたところで初めてお会いしたのが平松さんでした。確か作業ジャンパー姿だったと記憶しています、気さくな感じで仕事の内容を説明していただき、結局この会社で働かせてもらうことになりました。

この時、僕は30歳、平松さんは37歳でした。
会社内は技術部と制作部の2部門あり、僕は技術部に属することになり、平松さんの部下となりました。
入社してからは、全くの素人の僕に1から仕事を教えていただきました。 
そして、昭和から平成に変わった最初の夏、大きな仕事がいくつも待ち構えていました。2人でフル回転で仕事をしました。昼間は現場で仕事をして、夜は事務所で図面を書くという毎日が続き、とうとう徹夜になったこともありました。朝方2人で近くの「きもぜん」という店に食事に行ったことは今でも覚えています。「あーあの時の味噌汁がとても美味しかったなあ。」

徹夜の次の日だったと思いますが、現場近くで財布を落としてしまいました。頭がフラフラして集中力がなくなっていたのかもしれません 。いい方に拾われて戻ってきたのは幸いでした。

その頃はいつも2人で愛知はもちろんのこと、三重県、岐阜県、時には長野県と飛び回っていました。
そういえば、出勤初日にいきなり長野県飯田市に連れていかれました。遠方に出張して仕事をするのは初めてのことでしたので鮮明に覚えています。

この頃は結婚式場の建設が非常に多く日々忙しく働き、成長させていただきました。
東京などほとんど行ったことがなかったのですが、東京へ行くことも度々あり、いつのまにか新幹線移動は慣れっこになっていました。

しかし、四国へ行くというのはなかなか珍しいことで、ある時2人で愛媛県大洲市に行く仕事がありました。設備点検の仕事でしたが、なんと日帰りです。名古屋はまだセントレアがない頃で、小牧から松山空港に飛び、松山空港からはタクシーで現地に向かいました。時間を節約するため途中でおにぎりを買って車内で食べながら向かいました。 
車で1時間以上かかります。タクシーの運転者さんが、「お客さん、よければ帰りも送らせてもらえませんか?」 というのも無理ないですね。

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葬儀会場は平安会館東名斎場です。 
通夜開始時刻の1時間前に到着しました。会葬の方々が見える前にゆっくりと時間をとりたかったので、あえて早めに行きました。というのも、以前から病気のことを聞き、お見舞いにいかなければと思いつつ結局行けないままこの日を迎えてしまったことがとても心残りなのです。全ては自分のせいなんですが、後の後悔先に立たず、です。
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ロビーの一角には懐かしい写真が飾ってありました。
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本日の葬儀にも参列させていただき、最後のお見送りをさせていただくつもりです。

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