イチロー選手は3月21日の試合後に引退発表し、引退の記者会見を行いました。
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サイト「NunberWeb」の3月26日の記事に、元イチローの番記者だった方のエピソードが書かれていてとても興味深いので紹介します。
タイトルは「イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの”地獄”と信頼関係」とありました。
https://number.bunshun.jp/articles/-/838754

「イチローの取材『地獄』でした」
イチロー引退表明した翌日、デイリースポーツ5面の見出しです。

記事を書いたデイリーの小林記者はイチローがメジャー1年目の2001年に初めて野球を担当したと言います。そんなルーキーに当時27歳のイチローは容赦なかったと振り返っています。
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《「次どうぞ」、「それ、答えなきゃいけないかな」。記者の質問をことごとくはねつける。無言でスルーされる。そこまで厳しくされる理由が分からなかった。》(デイリー・3月22日)

それから3年後に初めて単独インタビューに挑み、イチローが求めていたのは「プロフェッショナル」だったことを知ります。
後年、「(あの頃は)地獄でした」とイチローに語ったと言います。引退を伝える記事の最後は「イチローには感謝の言葉しかない」と。

また、オリックス時代のイチローを担当した記者は「記者泣かせの選手だった」「想定通りに進んだことはなかった」「時に叱られ、呆れられ・・・・・。褒められたことなどなかった」と振り返っています。

イチローからすれば、自分を取材する記者も当然プロフェッショナルであるべきと考えていたのです。イチローの番記者になったら高レベルを求められる、うかつな質問はできないのです。

スポニチの記者の回想録には、オリックス時代のイチローに打撃フォームに違和感を感じ、「打ち方変えたの?」と聞くと「どこが変わったのか考えてください」といちろーから宿題を課されたそうです。

よーく考え抜いて数日後答えると「本当は去年もこの打ち方をしていた時があったんですよ」と返って来たそうです。

このやり取りから右足を振り子のように使う打撃フォームを記事にしたら「振り子打法」の名付け親と言われるようになったそうです。

当時20歳のイチローから課された宿題を必死に記者が答えた結果だと書いています。
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イチローはとても頭の回転が速く、一般的に考えるスピードとは時差が生ずるのかなと思います。だから時折インタビューや会見がかみ合わなくなる時があるのかもしれません。

そういえば、イチローの高校時代は成績のいい生徒が集められるクラスに属していたと聞いたことがあります。そもそも賢い人なんでしょう。それに加えてイチロー独特のやや哲学的な考え方などが織り交ざるので、常人はなかなか理解に苦しむのかもしれません。

そして、あの引退会見の中で筆者が感じたいくつかの「?」について述べられています。
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現役引退により、「伝説」となったイチロー。いずれ彼の生き様が本になったり、映画化されたりするときがくるでしょう。

プロ野球選手としては一区切りとなりましたが、この後の身の振り方も注目されます。プロ野球の監督はないと断言していました。一方で子供や学生の指導には興味があるようです。

第二の人生でも、我々をワクワクさせてくれることを期待したいと思います。
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