東日本が大きな地震と津波に襲われたあの日から、今日で8年目を迎えました。

8年前のあの日、事務所の中で仕事をしていました。するとグラグラと大きな揺れを感じ、地震だということがわかりました。今まで体験した地震に比べて長かったように思いました。誰かが東北地方が未曽有の震災にあっていると情報を伝えてくれました。

横浜の街中で、ビルの上からコンクリート片が落下するところを、人々が逃げまどっている光景が印象に残っています。それはこの時、娘が横浜で暮らしていたからです。

安否確認が取れたのは夜になってからだと記憶してます。自宅に帰るのも交通機関が麻痺していて大変だったようでした。東京でも、歩いて帰る人の行列があちこちで出ている光景が報道されていました。

しかし、本当の恐怖は地震のあとの津波でした。津波に街がどんどん飲み込まれていく映像は、現実に起こっているものかと疑いたくなるものでした。不謹慎かもしれませんが、まるで映画のようでした。

名古屋の街は普段通りの日常でした。その違和感は何とも言葉では言い表せない気持ちです。


もう8年なのか、まだ8年なのか分かりません。しかし被災した方々の人生が大きく変わったことは間違いありません。家族を失った人もいます、家や土地を失った方もみえるでしょう。
しかし、そんな中でも強くたくましく暮らしておられます。本当に立派だと思います。


2014年2月に宮城に行きました。震災から約3年経ったときです。
記憶に残すためにも、その時撮影した写真を公開します。

JR仙石線の野蒜(のびる)駅です。
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もう線路も撤去されていました。
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この高さまで津波が来たことを示すプレートが付いていました。(写真上部)
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駅の周りの建物もおそらくその日のままで、なにも手が付けられない状況でした。
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現在では、旧駅舎から南へ500mの高台に移動し、運行されているそうです。


石巻の日和山(ひよりやま)神社です。ここは高台にあるため多くの人が避難されていた場所です。
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このアングルは津波が襲ってくる様子を、どなたかが撮影され何度も放送されていたと記憶しています。
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石巻市の門脇小学校です。適切な誘導で多くの生徒や保護者の命が助かりました。
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学校のプールだと思われます。
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鉄製のパイプもこんなに曲げられています。
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何やら「撤去」の文字が書かれていました。
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撤去と言えば、原発の問題は残されたままになっています。国はまだやめる決断ができていないようです。安全だというなら、東京に作ったらいいと思います。もしくは国会を福島に移転してもいい。
そんなことできますか?
その点、ドイツのメルケル首相はこの震災のあとすぐに、原発廃止を宣言しました。素晴らしい決断だと思いました。ドイツにできて日本にできないことはないと思いますが、いかがでしょうか?



まわりの風景は何もありません。見えるのはただの野原だけです。一日で景色を一変させました。
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何年先かわかりませんが、地球全体がこのような景色にならないことを願うばかりです。
なにか未来を暗示をしているようで、そう考えると背中が寒くなります。