先日テレビで「分身ロボットカフェ」のことが紹介されていた。
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このカフェでは基本的にロボットだけが配膳をするのだが、ちょっと普通のロボットとは違っていた。
それは、そのロボットを人が遠隔から操作しているのだ。そしてその操作する人の声でお客さんと会話もできるという。
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これまでの概念だと人工知能でロボットと人をつなごうという取り組みをしてきた。要するにコンピュータの力で生身の人との会話を成立させようとしてきたのである。かなり制度が高まってきているとは思うが、やはりまだ不完全さが残っているだろう。
しかし、今回の場合は人が話しているのだから、当然スムーズに会話が成立するわけだ。

しかも素晴らしいのは、重度のケガや病気により寝たきりの生活を送っている人がオペレーターとなっていることだ。もう自分で歩くことができないいわゆる弱者にスポットを当て、この方々が社会で活躍するにはどうすればいいかを考えての結果なのだそうだ。
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このプロジェクトを立ち上げたのは「株式会社オリィ研究所」の所長、吉藤健太朗、通称オリィ氏である。吉藤氏は小中学生の頃、不登校を経験している。工業高校時代、電動車いすの新機構の発明により国内最大の科学コンテストJSECにて文部科学大臣賞、ならびに世界最大の科学コンテストISEFにて賞に輝いている。早稲田大学にて2009年から孤独解消を目的とした分身ロボットの開発に取り組み、2012年に「株式会社オリィ研究所」を設立し、代表取締役を務めている。
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オリィ氏は言う。

人の孤独を解消するために必要なのは、人工知能ではなく「人と人とのつながり」

~人工知能も悪くないと思うのですが、ただ、人工知能によって、ひきこもりだった自分が社会復帰できたかと考えてみると、やはり違うんですね。学校の友達も先生も好きではありませんでしたが、家にあきらめず訪問してくれたことだったり、生まれ故郷の奈良で行うおりがみ会など、それ以外のコミュニティで出会った人たちに癒された経験があるからこそ、私はひきこもり生活を脱することができた。結局のところ、人は直接人に会わなければならないと感じたのです。

 人工知能を教える先生が「ロボットが人を癒す」と言ったとき、どうしても違和感をぬぐうことができませんでした。「癒し」というものを考えたとき、人工知能より人のほうが明らかにポテンシャルがあると私は考えていました。~

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ロボット開発者たちは、ロボットが大好きであるために、人工知能を妄信しロボットを作ることが目的になってしまうんです。自分も夢中で研究したが、やればやるほど「ロボットが人を癒す」という論に疑いを持ったという。


~私は、ロボットを作りたくてロボットを作っているのではなくて、人と人をつなげる手段として、ロボットを作っています。~

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この言葉の意味するところは非常に大切なことだと思う。

古い話で恐縮だが、漫画家の手塚治虫氏の代表作でもある「鉄腕アトム」の中でこんな光景があったのを覚えている。愛息子のトビオを事故で亡くした天馬博士は、その代わりをロボットにさせようと完成したのがアトムだった。しかし、ロボットはあくまでも機械、博士の理想とする「トビオ」にはなるはずがなかった。~機械で人に似せることはできても、そのものになることはどこまで行っても不可能なことだと思う。それこそIPS細胞などの研究が進み、人間を複製できるとなれば話は別だが、「人の心」を機械で作ることは簡単なことではない。

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番組の中で、分身ロボット同士が手の空いた時に会話しているシーンがあった。それは人間らしいワンシーンだった。人のまさに身代わりをするロボット。このビジネスモデルは、間違いなく近い将来世界に広がると思う。

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※リクナビNEXTジャーナル、ロボスタより引用