葬儀は何のためにあるんでしょう?

最近では、「家族葬」という葬儀のあり方が広がり、「家族だけでそっと見送りたい」とか「大げさにしたくない」などのようにあまり多くの方に訃報を知らせずにこじんまりと行う葬儀が増えているようです。
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故人が生きてきた何十年という人生を考えたときに、本当に家族だけでいいのだろうか?という疑問が湧きます。
友人や先輩、後輩、仕事先の元同僚など人生の中で多くの方々と関わって生きてこられたはずです。
関わりの深さはそれぞれだと思います。まずはお知らせしてあとはご本人のご判断で弔問に来られるか否か決めていただけばいいのではないか、と思います。

よほどご遺族と親交が深くなければ、ご本人とそのお知り合いとの関係の深さはわかりません。


ちょうど1年ほど前に実の妹が旅立ちました。54歳でした。26歳の息子が喪主を務めました。
僕が「どんなお葬式にするつもりか?」と尋ねると、「普通にやりたい」とすぐに答えてくれました。
彼の負担も考慮したうえで、いろんな選択肢があることを伝えましたが、
彼の頭の中には、「家族だけで」という選択肢はなかったようです。

その結果、お通夜にはおそらく150名から200名ほどでしょうか、大変たくさんの方が会葬に来ていただけました。

一通り終わった後で彼に「大変だったな?」とねぎらうと
「いやそれよりもたくさんの方が来てくれたことがうれしい」と言って涙をにじませていたことが思い出されます。その一言には、思わずウルっときました。僕も心から「良かった」…と…なんかほっこりした瞬間でした。
人ってこういう時、なぜかピュアになれる気がします。不思議ですね。

お亡くなりになる年齢も無関係ではありませんが、人生最後のお見送りはしっかりとしてあげたいと思います。

葬儀はなんのためにあるのか?
その答えは1つではないでしょう。
僕は「故人の人生の締めくくり」でありますからその方にふさわしいお見送りをすることが正しいのかな、と思います。
また、もしかすると参列していただいた方から知らなかったことを教えられることもあるでしょう。家族には見せていなかった別の顔、そんなことが最後の最後にわかるというドラマがあるような気がします。

質素に簡素に終わらすことは簡単ですが、「最後の時」は1度しかありません。
その時を故人とどんな風に向き合い、見送ればいいのか?ということを、考えたら良いのではないかと思います。


最後にある葬祭場に勤めていらっしゃる方のブログを紹介いたします。
とても感銘を受けました。

「迷惑をかけたくない」