5月3日の憲法記念日にあたり、毎日新聞のウェブ版に作家の赤川次郎氏が憲法について語っておられる記事が目に留まったのでご紹介したい。
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「赤川次郎さんが語る憲法 若者よ、もっと想像力を 守る努力しなければ、暮らし脅かされる」というタイトルの記事である。
安倍首相は自衛隊を明記する憲法改正をあきらめていない。2020年までに改正憲法施行を目指しているという。そんな中での赤川氏の言葉である。

著名なベストセラー作家は「戦争をさせない1000人委員会」の呼びかけの一人でもあるという。
話は意外にも9条ではなく25条から始まった。
「『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』。
「この項目を実現するために憲法があると思うんですよ。~平和なはずの今ですら、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を送れていない。戦争になれば無論、そんなこと言っていられなくなる。」
まったくその通りである。

赤川氏が中学時代に体験した話があった。
 ~ある日の学校帰り。「天皇陛下がお通りになる」と、学校から国立駅前まで延びる大通りが通行止めになっていた。急用があったのか子連れの母親が道路を渡らせてほしいと頼んだが、警察官に拒まれているのを見た。「車の影も形も見えていないのに、なぜ渡っちゃいけないんだろうと。常識で考えたらおかしな話じゃないですか。憲法にある『象徴としての天皇』って何だろう? 天皇も『普通の人間』なら信号を守って走るべきじゃないか。こういう理屈に合わないこともあるんだなと感じたのを覚えています」
そして赤川少年は思った。「憲法はそこにあるだけじゃだめなんだ。守る努力をしなければ、何の意味もないのだ」と。日常生活の中で、憲法を意識した瞬間だったという。 ~

赤川氏は1948年生まれ、幼少期を戦後の混乱の中で過ごしてきた世代だ。
ソ連の占領下にあった時、父の勤めていた満州映画協会にソ連兵が「酒の相手をする女を出せ」とやってきた。当然、それだけでは済まないし、要求を拒めば家族も含めどうなるか分からない。「父の話では、1人の女性が『私には家族がいないから、どうなっても悲しむ人はいないから』と名乗りを上げてくれた。父たちは急きょ、お別れの会を開き、彼女に花嫁衣装を着せたそうです」。そして翌日、彼女はソ連兵に連れて行かれた。その後の行方は分からないという。

 「戦争になったら、泣かされるのはいつも市民。とりわけ女性や子どもです。戦争は絶対にしてはいけない。憲法9条はその大きな歯止めになってきた。そういうことを私たちはもっと学ぶべきです」と言っている。

戦後73年経ち、戦争が「歴史」になりつつあり「改憲」への抵抗も薄らいでいるようにもみえる。
ある世論調査によると9条改正「必要」が44%、「不必要」が46%とほぼ互角になっている。
赤川氏は言う。
「9条が崩されたらどうなるか。そういう想像力が働いていない気がする。特に若い人たち。ただ、それは僕たち作家にも責任があります。」(中略)
私たちは政治家の意向に従うだけでいいのだろうか。何かすべきことがあるはずだ。「憲法が危うくなっている今、守るという発想を持たないといけない。憲法は意識せずともそこにあって、生活を守ってくれるもの。それが無くなった時に、自分の暮らしも脅かされるということを考えてほしい」 と。

皆さんはどう思われるだろうか。
僕は戦後生まれでもちろん戦争体験はしていない。
父親は海軍に所属し飛行機乗りだったと聞いている、父なりの戦争に対する思いを何度も聞かされた。
親戚のおじからも、中国での悲惨な戦争の事実を聞いたことがある。
戦争という極限状態は、人間が鬼と化す、まともな人の心を持っていては、戦地で敵と戦うことなどできないのだ。そしてその結果、両者とも多くの犠牲者が発生する。

戦争は決して繰り返されるべきではないと思っている。

年々戦争体験者がお亡くなりになり、リアルな戦争を知る人が減少する中、それを後世に伝えることは貴重であり重要なことだと感ずる。

私たちは9条に守られているという意識が必要なんだろう。
そして25条に記されていることをきちんと知っておく必要がある。


憲法というものは、一旦改正されたら簡単に元に戻せるものではない。

まず国民のほとんどが憲法改正を望んでいるか否かが重要だ。一部の国会議員らだけで声高に憲法改正を叫ばれても全く響いては来ない。何のために?なぜこの時期に?改正後にはどうなるのか?多くの疑問に明確な答えは示されていないように思う。それでいて「改正」はいかがなものか、と思わざるを得ない。
この改正を実施して喜ぶのはいったい誰なのか、などと考えてしまう。

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