舘祐司の気ままなブログ

2021年04月

ちょっとセクシーな男性ボーカルシリーズ第6回目はジョージマイケルを選びました。もしかすると名前でピンと来ない方もいらっしゃいますかね。元「ワム」の、と言えばお分かりになりましたか?
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ソロになって1987年にリリースされた1stアルバム「FAITH」に収められている「ワン・モア・トライ」です。
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このアルバムを初めて聴いた時はちょっと驚きがありました。それはワム時代のポップなイメージから大人の男を感じさせる雰囲気に変わっていたからです。でも聴き込むうちにすごく好きなアルバムになりました。このアルバムは多くのファンを魅了し世界中で記録的な大ヒットを収めました。その中でも僕が特に気に入っている曲がこの「ワン・モア・トライ」です。 歌詞の内容はよくわかりませんが、まだあまり恋愛経験のない若い男の子が失恋して落ち込みますが、最後にもう一度頑張ってみようという感じなのかな。美しいバラードで切ない感じがひしひしと伝わってきます。
ジョージ・マイケルの歌声が心にグッときます。女性にはたまらないんじゃないでしょうか。 でものちにゲイであることをカミングアウトしていますね。
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1981年幼馴染のアンドリューリッジリーと「ワム」 を結成し、デビューすると、「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「ケアレス・ウィスパー」「ラスト・クリスマス」次々とヒットを世に送りたちまち世界中でビッグセールスを達成しました。
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「ケアレス・ウィスパー」は日本で西城秀樹さんがカバーしてヒットしました。「ラスト・クリスマス」は言わずもがな今やクリスマスの時期になるとこの曲を聴かない年はないほど定番曲となりました。
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先程ソロになって最初のアルバムで鮮烈なスタートを切ったのですが、その後はやや低迷期を迎えることになります。レーベル会社とトラブルで裁判沙汰になったり、ツアーの評判が悪くいざこざとなったりで明るい話題に乏しい晩年となってしまいました。
そして2016年、53歳という若さでこの世を去っています。
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それではジョージマイケルで「ワン・モア・トライ」をお聴き下さい。
 

2021年4月12日日本時間午前8時、歴史的な瞬間を見ることができた。
アメリカジョージア州 オーガスタ・ナショナルGCにおいて松山英樹選手がマスターズで優勝したのだ。日本人として初めていやアジア人で初の快挙となったのだ。
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最後のパターをカップに沈めた後、周りのパトロンからの歓声に静かに笑顔で答えた。日本の実況席は「松山英樹、マスターズを勝ちました!」と感極まった声は震えていた。なんとか振り絞って喋ろうとするが声が出てこない。解説を担当していた中嶋常幸さんは「すいません・・・」と言って言葉が出ず男泣きをしているようだった。ゲスト解説の宮里優作さんも「本当にこんな日が来るなんて・・」と言い涙声だ。おそらく放送席は皆泣いていたと想像できる。思わずこちらも目頭が熱くなった。まさか本当に日本人選手のマスターズ優勝シーンを見ることができるとは・・・宮里さんと同じ思いだ。

松山選手の初日は69と3アンダー2位といいスタートを切った。しかしジャスティン・ローズは65と4打差をつけて単独首位に立つ。松山は2日目71と伸ばすことができずに6位と後退する。トップはローズが守っていた。昨年11月に行われたマスターズで20アンダーとぶっちぎり優勝したダスティン・ジョンソンがまさかの予選落ちで波乱の展開だ。しかし3日目松山はパット、ショットも絶好調、65と爆発する。そしてローズを抜き単独トップに立った。最終日前半はなかなかチャンスは訪れず我慢のゴルフ、パーセーブをするのがやっとのプレーが続く。そして8番でようやくバーディーを取ると続く9番もバーディーでいよいよ後続を突き放しにかかる。
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バックナインに入り13番でバーディーを取り、一時は2位と5打差をつけ優勝は濃厚かと思われたが、同じ組のシャウフェレに連続バーディーでジワジワ差を詰められる。松山は15番で奥の池に入れてボギーを打ち一気に2打差まで縮まってしまう。この時は本当に神に祈る思いだった。しかし、そのシャウフェレも16番で池に入れトリプルボギーで完全に脱落した。オーガスタには魔物や女神がいると言われるがどちらに好かれるのか本当にわからない。結局2位は初出場のザラトリスが9アンダーでホールアウト、松山は2打差で最終ホールを迎える。18番のティーショットをドライバーでフェアウェイに運んだところで、宮里優作氏は「これで王手ですね」と言った。中嶋常幸さんもその言葉に呼応していた。しかしホッとしたのも束の間、セカンドショットはグリーン右のバンカーに。絶好の場所からでグリーンを外すとは予想していなかっただけにまた緊張感が増す。ミスショットではなく緊張が続いて体も精神もボロボロになっていると中島さんはおっしゃっていた。
そしてバンカーショットはワンピンくらいのところにつけ最後のパットかと思われたが惜しくもカップの横をすり抜けボギーとしたが、なんとか1打差で逃げ切ることができたのだ。
「やったー!」 思わず拍手してしまった。
最後はヒヤヒヤドキドキさせられたが、終わってみれば最終日は一度も首位を譲ることなくしっかり守りきった、この辺りはもちろん3日目の貯金があったことが大きいが、以前のようにミスをして崩れていくというパターンにならなかったところに強さを見て取れた。それはキャディーやコーチなど松山を支えるスタッフのおかげではないかと言われている。いわゆる一人ではなくチームでグリーンジャケットを勝ち取ったのだ。
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少し時間を戻すと、松山が最終グリーンに近づくと待ち構えたパトロンたちはスタンディングオベーションで松山を迎えた。なんという光景だろう、これだけでも感動的な瞬間だ、こんな日が来るとは、本当に松山選手にありがとうと言いたい。
試合後のインタビューで今日のポイントになったショットは?と聞かれ18番のティーショットだと答えていたのが印象的だった。やはり優勝のかかったあのティーショットは最も緊張の瞬間だったのだろう。それがわかっているだけに、宮里優作さんが無事フェアウェイに打てて「これで王手」 と言ったこともうなづける。

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優勝を決めた後、キャディーの早藤さんと抱き合って喜びを分かち合っているが、この早藤さんが海外メディアから称賛を浴びているという。その訳は、最後のパットを決めた後、ピンをカップに刺してホールに向かって一例した光景が素晴らしいということなのだ。

この優勝賞金は2億2697万で松山選手はマスターズの生涯出場権を得た。ぜひまたグリーンジャケットを着る瞬間を見せてもらいたいものだ。
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おめでとうございます、そしてありがとうございます。 
日本の子供達に大きな勇気を与えてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいだ。
 

何とちょっとセクシーなー男性ボーカリストシリーズの5回目はアダモさん、曲はもちろん「雪が降る」です。
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この邦題の「雪が降る」ですが、「雪は降る」だとばかり思っていました。なぜかというとこの曲の最初に「ゆーきーは降る♪」って歌っていますよね。逆になぜ「雪が」なのでしょう?ま、大した話ではないのでこの辺で本題に戻ります。

アダモさんはサルヴァトール・アダモという名前で、イタリアのシチリアで生まれたベルギー人なのだそうです。てっきり勝手にフランスの方かと思っていました。そして作曲家であり歌手であるといういわゆるシンガーソングライターの走りみたいな方なのです。
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この「雪が降る」は最初に1963年にリリースされヒットしています。その後日本語ヴァージョンを1969年に発売され日本でもヒットしました。海外の歌手が日本語で歌って発売するというパターンはあの頃ちょくちょくありましたね。アダモさんは何とイタリア語、ドイツ語、ポルトガル語、スペイン語、オランダ語、トルコ語と数多くの言語で歌っておられるそうでそういうことにも長けておられる素晴らしいシンガーです。

また、声が哀愁に満ちていると言いますか、日本の演歌に通じるようなところも少し感じます。心にグッとくるような歌声そしてメロディがこの曲にはあります。
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また、大変な親日家だそうで、1967年に初めて日本を訪れてから、30回以上公演を行っているようです。
2020年にコンサートをされたようです。
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きっと78歳の現在も現役で歌われていることでしょう。
それでは懐かしい歌声をお聴き下さい。
アダモの「雪が降る」 日本語ヴァージョン。
 

ご本人が日本のテレビに出演されている動画も良ければどうぞ。こちらは間奏のナレーションが日本語ではないです。




ちょっとセクシーな男性ボーカルシリーズ第4回目はロッド・スチュワートです。彼の名を聞いて誰もが頭に浮かぶ曲といえば「セイリング」でしょう。
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ハスキーボイスでスタイルもかっこよく、多くのミュージシャンからも憧れの存在です。日本でも西城秀樹さん、世良公則さん、矢沢永吉さん、B’zの稲葉さんなど沢山のミュージシャンたちが影響を受けているようです。
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イギリスロンドンで1945年に誕生したロッド・スチュワートはサッカーに熱中して少年時代を過ごしプロリーグチームのトライアルに参加したこともあるそうで、かなりのレベルだったようです。
しかしサッカー選手の夢は絶たれ、音楽の道に進むことになります。結果的にはそれがのちに大成功を収めることにつながります。
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ジェフ・ベックグループに参加していた時代、ロン・ウッドに誘われフェイセズに参加していた時代を経て、ソロとして完全に独立します。フェイセズ時代の代表曲は「ステイ・ウィズ・ミー」、ソロでは「マギー・メイ」がヒットし順調にスーパースターへの道を歩んでいきます。

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そしてフェイセズ解散後1975年にアルバム「アトランティック・クロッシング」を発表、イギリスから渡米する決意をこのアルバムのジャケットをみるとよくわかります。大西洋を一またぎしているんですね。「セイリング」はこのアルバムに収録されています。

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1977年発表の「明日へのキックオフ」懐かしいジャケットです。

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「ブロンド好き」と公言していますが、女性遍歴もまさにスーパースター級です。今まで3人の女性と結婚し、そのほか2人の女性と交際していたようですね。1978年には「スーパースターはブロンドがお好き」というタイトルのアルバムまで発表しているから本物です。そしてこのアルバムに収録されているのが「アイム・セクシー」という曲、ここまで開き直られるとさすがとしか言えません。音楽界のセクシー帝王です。
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歳とってもカッコいいです。

それではそろそろ参りましょうか。ロッド・スチュワートで「セイリング」をお聴き下さい。




 

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