舘祐司の気ままなブログ

2017年08月

29日東京のアンフェリシオンにて全中協の第35回総会懇親会が催され出席いたしました。

この日は朝から隣国からのありがたくないプレゼントで始まり、いい気分の日ではありません。

冒頭K会長より、年度の目標値を達成することができ、関係各社の皆さまに感謝するとともにお礼を申し上げられました。

そして購買担当のM様からは会員が減少したため、目標達成が危ぶまれましたがなんとか達成でき安心しています。とのことでした。業界を取り巻く状況は厳しいものがありますが、また来期新しい目標に向かって一緒に頑張りましょう。というようなコメントでした。

そして乾杯の音頭はアンフェリシオンのK社長、この両国界隈はその昔商店ができ人が集まって、お祝い事や弔いごとなど人のコミュニケーションで成り立ってきた経緯があります。冠婚葬祭業が深くかかわってきたと思いますのでまた我々で活性化していきましょう。というようなお話でした。

また、冒頭のK会長からは「乾杯後30分間は席を立たずに食事を楽しみましょう」とくぎを刺されましたので、30分間は全員静かに食事をしました。誰一人フライングすることなく、慣れないせいか少し違和感を覚えました。

こういった宴会の席に出される食事は食べ残しが多く、「食品ロス」という問題になっているそうです。
自治体が中心となり30・10(サンマルイチマル)運動が推進されているようです。それは「宴会開始後30分間と終了前の10分間は自席について食事を楽しみましょう。」というものです。

そして宴も進み、H会長様の締めのお言葉があり、一本で締められました。

個人情報保護の観点から写真の掲載は控えていますことを付け加えておきます。

僕の独断でお届けしている「懐かしの名曲」シリーズも第33回目を迎える、今回は悲劇のグループ「バッドフィンガー」だ。

バッドフィンガーはイギリス出身のピート・ハム(一番右)とトム・エヴァンズ(右から二人目)を中心としたロックバンドである。
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彼らは1969年にバンド名をバッドフィンガーに変え、アップルレコードよりビートルズの弟分として売り出されることになる。それまであまりぱっとしていなかったが、1970年セカンドアルバム「ノー・ダイス」の中に収録されている「嵐の恋」がビルヴォードチャートの8位まで上昇し、一躍名が売れることとなった。
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「嵐の恋」は一度聴いたら忘れられない曲だ。
覚えやすいメロディでいっぺんに好きになった思い出がある。


1971年、3枚目のアルバム「ストレート・アップ」に収録された「デイ・アフター・デイ」は大ヒットし、彼らの代表曲となり、商業的には大成功を収めた。
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このレコードは僕も持ってたな、懐かしい。

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しかし、当時のアップルレコードはビートルズ解散後財政的に行き詰っていたらしい。
マネージャーに裏切られ、レコード会社との契約のごたごたなど音楽と関係ないところで不運が続くことになる。

1974年ワーナーレコードから訴訟が起こされ、アメリカ国内で全作品の販売を差し止められた。
翌年には、彼らのレコードが店頭からひきあげられてしまった。

そして、リーダーのピート・ハムが自宅ガレージで首つり自殺を遂げた、1975年4月である。
前の晩トムと一緒に飲んでいたという。まだ27歳の若さだった。

そのトムもまた1983年に自宅の庭で首つり自殺を遂げてしまう。

才能のあった2人の死は本当に惜しまれ悲しい。


そしてこのブログを書くにあたり調べていてすごいことが分かった。

世界的に大ヒットし、スタンダードナンバーといってもいい二ルソンの「ウィズアウト・ユー」はなんと彼らが作った曲だったのである。

次回、この名曲シリーズで「ウィズアウト・ユー」を紹介したい。

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先日このブログで紹介した「ペッパー導師」がエンディング産業展にきていました。
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多くの人が集まっていました。
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米国のテレビクルーも取材していました。
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説法も披露していました。結構長くてもう少し端的にまとめてくれるといいかな(笑)

この企業の方と少しお話しできましたが、「ペッパー導師」ばかり注目を浴びて少し戸惑っておられました。

軸は「葬儀の IT化」を提案しているとのことで、例えば式場に参列できない人がスマホから香典を送ることができたり、喪主から一定の方に訃報連絡をメールで飛ばすサービスだったり、WEBを活用して効率化を図りませんか?というようなことです。

面白いなと感じたのは、ペッパーくん自体は新しいものではないのですが、葬儀業界で扱われると大注目になっていることです。お経を読むペッパーくんというところがメディアから見れば美味しいネタなのかもしれません。

一般的な社会とは少し時間のズレがあるように思いました。 

今年の夏ほど「夏らしくない夏」も珍しいのではないか。

8月のイメージといえば、入道雲、海水浴、スイカ、花火、プール、かき氷などの言葉が浮かんでくる。
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しかし、東京などは8月に入って17日連続で降雨を記録、関東の各地で花火大会は雷雨で中止、各地でゲリラ豪雨の被害が出るなど、ことごとく雨による被害を伝えるニュースが目立っていた。
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今では「ゲリラ豪雨」という言葉すっかり聞きなれてしまったが、いつからこの言葉が使われるようになったんだろう。

調べてみた。

まず「ゲリラ豪雨」ということばについておさらいをしておきたい。
正式な気象用語ではないとのことである。
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大気の不安定により突発的で気象予報による予測が困難な局地的な大雨のことを指すとのことだ。
ゲリラの語には突然発生すること、予測困難であること、局地的であること、同時多発することがあることなどのニュアンスが含まれているそうだ。日本国内のみで使われているとのことである。

いつから?の答えだが、古くは1969年8月に読売新聞にて使われていたそうだ。(Wikipediaより)
1970年代に入ると気象衛星・ひまわりにより雲の動向を把握できるようになり集中豪雨の発生の予測にも大きな役割を果たすようになったそうである。

しかし2006年ごろから局地的豪雨が頻発するようになり、このころからマスコミで「ゲリラ豪雨」の文字が目立つようになる。
そして2008年7月から8月にかけて日本各地で豪雨災害が起こった。
特に練馬区での豪雨になっていなかった下流で下水道工事中の作業員5名が流され死亡したことが大きく報道され、この年の流行語大賞のトップ10に選出された。
このこともあり、「ゲリラ豪雨」の言葉が広く一般的に用いられるようになったとのことだ。
ということは約10年前からよく使われるようになったということになる。

2017年の調べでは1976年からの10年間と直近の10年間の観測結果を比較した場合、ゲリラ豪雨の発生率が全国平均で約34%も増加しているそうである。
やはりよく耳にするはずである。

また、「爆弾低気圧」と同様に「ゲリラ」という言葉は軍事を連想させ、不適切という意見もあるようだ。
そのためかNHKでは基本的に「ゲリラ豪雨」という呼称は使われず、気象庁と同様に「集中豪雨」「局地的大雨」などの気象用語が使われているそうである。

なぜ「ゲリラ豪雨」が増えているのか、それは気候変動やヒートアイランド現象など、複数の原因が重なって日本の気温が上昇傾向にあることと関係しているそうである。
やはりよく言われている「地球温暖化」が大きく関わっているようだ。

そうか、「ゲリラ豪雨」は地球の悲鳴なのかもしれない。
我々人類に対する警告なのだろうか。・・・いやそうに違いない・・・そう思えてきた。

今、多くの国は地球温暖化を食い止めようとスクラムを組もうとしている。
しかしそれに非協力的な国もいる。

地球全体の問題なので一致協力しなくてはなかなかいい方向に進むはずはない。
一国だけのエゴで済む話ではないことは重々承知なはずなのだが・・・。

このままでは未来の子孫に負の財産を残すことになってしまう。

今年の夏は終わろうとしているが、地球の温暖化はまったく終わりが見えない。


東京ビッグサイトにおきまして、23日からエンディング産業展2017に出展しています。
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様子を見ましたがなかなかの盛況ぶりのようです。

今回はサイネージディスプレイを紹介しています。
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左手のディスプレイはLEDですが2.5mmピッチでかなり高精細です。
門標に使っていただけます。

等身大の写真があれば、こんな風に生前の姿をお見せすることもできますよ。
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若い頃の素敵な写真があれば、こんな演出も可能です。

本日25日が最終日です。 

 

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