舘祐司の気ままなブログ

2017年06月

少し遅くなりましたが、今年は6月18日が父の日でした。

昨年はオリジナル写真入りのビールを贈ってもらいました。そのブログ

今年は腕時計を贈ってくれました。正直父の日ということを意識していなかったので僕にとってはサプライズでした。

毎年プレゼントしてくれる娘には感謝の言葉しかありません。
ものの問題ではなく、その気持ちがうれしいですね。


さっそく腕につけてみました。

軽くて使いやすそうです。

説明書によると10年間電池が持つとなっています。技術の進歩はすごいですね。


ところで手の甲に血管が青く浮き出ていますね。

20代の頃、父の手の甲を見た時、同じように青く血管が浮いていたことを思い出しました。
父だけが特別そうなっているのかどうかわかりませんでしたが、なぜか記憶にあります。

あれから30年以上経ち、「あ、あの時の父の手と同じだ」と思いました。

おそらく誰でも年齢とともにそうなるんですね。

後数ヶ月で還暦を迎えるという年月を重ねてきました。

人生楽しまなくちゃいけません。そういう気持ちが強くなってきます。

なんか脈絡のない文章ですみません。





松山英樹選手がやってくれた。
メジャー大会では自身最高の2位に輝いた。
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USオープンでは1980年に青木功さんがJ・ニクラウスとの死闘の末、2位になっている。
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この時、青木さんは38歳という年齢であった。改めて彼のすごさがわかる。

さて、松山選手は3日目を終わり14位、トップとの差は6打あったが、最終日素晴らしいゴルフで猛追し首位のケプカ選手には届かなかったが、最終順位を2位まで上げて終えた。

最終日の後半は素晴らしいショットの連発だった。特にアプローチの切れにはゾクゾクさせられた。

本人も最終日については満足だったようだ。

しかし、こうなると初日の2オーバーが悔やまれてくる。74のスコアで82位と出遅れたのだ。
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2日目は7アンダー65と一気に8位まで伸ばしてきた。このあたりはさすがに世界ランキング4位の実力を発揮してくれた。

しかし、3日目は71とまた後退してしまう。
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そして最終日は6アンダー66をたたき出して一気に優勝争いに加わった。

ちなみに2日目と4日目は全選手中最高のスコアである。
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かみ合えば爆発力があるという証拠だ。

この大会はランキング上位のD・ジョンソン(1位)R・マキロイ(2位)J・デイ(3位)がいない。

今年のマスターズを制したS・ガルシア(7位)や昨年のマスターズ覇者J・スピース(5位)は出場しているものの今一つ精彩がなかった。
何が言いたいかというと十二分に優勝のチャンスがあったということだ。

ちなみに優勝したケプカはランキング12位、松山と並んで2位になったハーマンは51位の選手だ。
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今回10位以内に入った中で、世界ランキング一けたの選手は松山を除いてはR・ファウラーだけである。


これで松山選手のランキングは2つ上がり2位となった。
5月に3位になったのがこれまでの最高順位だったがこれを塗り替えた。


先のことを言うとなんだが、7月には全英オープンが控えている。期待せずにはいられない。
ただリンクス特有の強風とアメリカとは明らかに違う気候、そして深いバンカーなど難コースが待ち受けている。

もちろんコースコンディションは全選手に平等なわけだが、イギリスの選手は若干地の利というものがあるだろう。

松山英樹選手は、メジャー制覇という偉業を達成してくれる日も近いと思う。


毎晩晩酌をされている方は、年齢とともに健康に気を遣うようになり、1週間に1日はお酒を飲まない日、いわゆる「休肝日」を設けていらっしゃる方は多いと思います。
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その「休肝日」について先日ラジオで医師の方がこんなことを話していました。

「よく休肝日を設けていらっしゃいますが、あまり意味はないですよ」

「エッ!!」と思いました。
確か健康診断の時に1日の飲酒量などチェックされ、休肝日を勧められたような記憶があります。

僕もここ5,6年前から「休肝日」を設けていました。それが・・・あまり意味がないと言われると、正直ちょっとショックです。


ではどういうことなのか、肝臓にかかる負担は全体のお酒の量が問題なんだそうです。
要するに1週間に1日空けたからと言って、ほかの日に大量に飲酒してはまったく意味がないということです。


飲酒量の多い依存症に近い方は、休肝日を2日間とるのがいいそうです。
2日間飲酒しないと体内のアルコール分がほぼ100%分解され体内にアルコールがない状態を体感できアルコール依存症を治せるそうです。


では1日のお酒の適量とはどのくらいでしょうか。
大体ビール中ビンで2本、日本酒なら2合、缶チューハイで3本、ワインボトル半分といったところが目安だそうです。

毎日飲んでも適量を守ることができれば休肝日は必要ないそうです。

逆に、今日は休肝日でお酒を飲まないからと言って暴食をすれば、肝臓に負担をかけてしまい逆効果になってしまう恐れがあります。

厚労省が提唱する「週に2日は休肝日を作りましょう」は国民の健康を考えた指針で、同時に国の税金による「社会保障費を減らす」という目的があるようです。そもそも「休肝日」という言葉ができたのは毎日飲酒する人に飲酒量を減らすことを促すために行政が考えた造語なんだそうです。

つまり休肝日に明確な根拠がある訳でなく、日本独自の迷信や風習めいたものだという説もあるんだそうです。

まあなんでも「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということわざどおりで、飲食にしろ運動にしろ適切な量を守ることが大切だということです。

自分の体は自分で管理するしかありませんから。

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さて6月に入り、日本列島は梅雨に入りました。

ここ名古屋も6月7日に気象庁から梅雨入りしたと発表されました。

ジメッと蒸し暑い、少し憂鬱な時期の始まりです。・・・と思いましたら、意外や意外、カラッとした快適な気候が続いています。雨もほとんど降っていません。
今のところいわゆる空梅雨(からつゆ)という状態です。

「梅雨入り」撤回のような噂もあります。

そんなことから、我が家では「そもそも『梅雨入り宣言』って何のためにあるの?」という素朴な疑問が生まれました。

別にいつから梅雨入りとかいつ梅雨明けとか特にその情報がなくてもほとんど問題ないかと思います。

そこで調べてみました。

それほど明確な答えはありませんでしたが、農業関係者は例えば、〇月の初めの晴れ間の続く日、梅雨明けころの晴れ間の続く日に〇〇をする、というような気候によってすることが決まっているそうです。

年によって気候のずれがあるため〇月〇日というように月日を特定することはできないそうです。
ほかにも漁業関係の方々もその情報が必要な方がおられるとのことでした。

<梅雨入り、梅雨明け宣言の歴史>
昭和60年以前までは梅雨入り梅雨明けの発表を非公式の「お知らせ」として発表していたそうです。
・・そういわれれば確かに昔は「いつから梅雨入り」とか言っていなかったように思います。

昭和61年から平成6年までは梅雨入り梅雨明けの発表が正式な気象情報として採用されました。
そこから日付を特定するようになったそうです。ただ状況に応じて修正も行っていたそうです。

平成7,8年になると「日付を特定することに無理があった」として特定せず「上旬のはじめ」「下旬の半ば」という旬単位での発表に変更しました。

平成9年からは「わかりにくい」という指摘が相次いだため「〇月〇日ごろ梅雨入りしたものとみられる」という日付を特定しつつ含みを持たせた発表になり現在に至っているそうです。

気象庁も世論の声に耳を傾けながら紆余曲折しているのですね。


雨関連でもう一つ、降ると嫌な雨ですが、雨もこの時期に降らないと場所によっては、夏の時期に水が不足して大変なことになります。

「水がめ(ダム)のところだけ降ればいいのに」、などと思ったりしますが、そういうわけにはいきません。

天気を人間がコントロールするわけにはいかないのです。

しかし自然はうまく出来ています。

雨が少ないな、と思うとまとめて降ったりします。ちゃんと帳尻を合わせてくるなといつも思います。
ただ、豪雨というようなことになると、被害が出るのでありがたくはないですね。

日本には四季があり、いろんな風景や食物を楽しむことができて幸せだと思います。

梅雨のその中の一つです。うまく付き合っていくしかありませんね。

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カバ丸くんたちも雨の中を楽しんでいるようです。

きれいな虹は雨がもたらす美しい自然現象の一つですね。いいこともあります。

これからの時期、熱中症に気を付けましょう、水分補給をお忘れなく。



長野に来ました。

長野といえば善光寺ですね。近くに来ましたので、ちょっと寄ってみました。

ここを訪れるのは初めてのことです。

JR長野駅 から「ぐるりん号」というバスで15分くらいの距離です。

善光寺入り口のバス停で降車すると目の前に現れたのは、「善光寺郵便局」 レトロ感満載です。

昔のポストです、懐かしく可愛いですね。

そして善光寺に向かって歩いて行くと次にまたまたレトロ風な建物がありました。
「藤屋旅館」 です。見るからに歴史を感じます。

ようやく善光寺の入り口に来ました。

仁王門が見えて来ました。

善光寺地震などで焼失後 大正7年(1918)に再建されたそうです。
間口13m奥行き7m高さ13mという巨大な門です。

仁王門をくぐると仲見世があります。ちょっと浅草のようなところです。


仲見世を抜けると、大きなお地蔵さんが見えて来ました。

六地蔵です。地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界の地蔵菩薩です。

その隣には「濡れ仏」 です。


そしていよいよ「山門」 です。 重要文化財に指定されています。
この中に楼上すると長野市を一望することができるそうです。

横には「大勧進」 というところがあります。

そしてようやく「善光寺本堂」 まで来ました。
非常に立派な建物です。
1690年ごろに火災で焼失後、7年の歳月をかけて宝永4年(1707)に完成したそうです。
間口24m奥行き54m高さ26mの国内屈指の木造建築で東日本で最大級の規模だと言います。
屋根は総檜皮葺きで、T字型のかねを叩く撞木に似た「撞木造り」という構造だとのことです。
本堂の中に入らせていただくことができましたが、今まで見たことのないくらいの高さと広さでした。

300年も前にこのような建築物を造った当時の技術力に驚かされます。




鐘楼もあります。

御朱印もいただきました。



善光寺の宗派を尋ねると無宗派でどんな宗派でも受け入れるとのことでした。
それはこの善光寺は宗派ができる前からあったからだそうです。

善光寺の周りには釈迦堂や多くの寺院が 並んでいます。




レトロな理髪店。


善光寺入り口まで戻ると老舗のお蕎麦屋さんが ありました。

ん?これはちょっと食べてみたいな。直感的にそう思いました。
なんとなく背中を押されるように暖簾を潜りました。

「さらしなそば」 を注文しました。

特にお腹が空いているわけではありませんでしたが、とっても美味しかったです。
お店の人に伺うとこの店は100年前からお蕎麦屋さんがを営んでいるそうで、建物自体は150年前に造られたとか、そういう歴史的な建造物が非常に多く集まっている印象です。

先ほど紹介した藤屋ホテルの横には「TEE ROOM 藤屋」 があります。


他にもたくさんの古風なお店や建物がありました。

また、ゆっくりと訪れてみたいと思いました。 

 

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