舘祐司の気ままなブログ

2017年06月

今回のツアー、ナゴヤドームの初日から2週間あまり、いよいよ東京ドームでのライヴの日が来た。
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雨の予想だったが、意外にも晴れ、皆足取りも軽く続々と人が集まって来る。
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東京ドームの周りは人、人、人で溢れ五万人のミスチルファンがここに集結した。
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東京ドームの中に入るのは今回が初めて、野球ではなくミスチルライヴになるとは思ってもみなかった。

そしていよいよライヴが始まる。

スタートの曲から前半はミスチルファンでなくとも知っているメガヒット曲のオンパレードで一気に盛り上がる。

中盤からは少し落ち着いた構成に変わる、ややクールダウンといったところだ。

後半からはライヴにふさわしいノリの曲でまた盛り上げていく。

そして最高に達したところで、一区切りつけアンコールへと続いていった。

約30曲、3時間半のロング公演だった。

終わると心地良い疲労感に包まれる。
「やっぱ、ミスチル最高」ってきっと五万人の人がそう思っていると思う。
さすがにもうお腹いっぱいっていう感じじゃないかな。

今回は東京にいる娘から「ミスチルの東京ドームのチケット取れたけど、どうする?」という誘いから始まった。一瞬迷いがあったことは事実だがすぐに行く事を決めた、その決断は間違ってなかった。

思い起こせば5年前、20周年記念の「POPSAURUS」(ポップザウルス)ツアーの時に初めてミスチルのライヴに行き一変にファンになった。時の経つのは早いものだ。

ライヴ中盤で桜井くんがこんな事を言っていた。

「今回、25周年を迎えてやっていますが、正直デビューした頃に25年後音楽をやってるかどうか、ましてやこんなに多くの方が僕たちを見に来てくれるなんてことは想像もできませんでした。10周年の時はまだ僕らも若く、周りが騒いでいただけであまりピンと来ていなかったです。しかし今、僕らも年齢を重ねいつまでこうやって音楽をみなさんの前で奏でることができるのだろうと考えます。ですから、今この瞬間を大切にして1曲1曲丁寧に一生懸命演奏しています。」
概ねこんな内容だったと思う。

現在47歳となり決して若くはない年齢になって来ている、やはり年齢とともに考え方も変わり大切なものとは何かという事を感じていることが伝わってきた。

しかし、3時間半のパフォーマンスを見せつけられると全く歳を感じさせない。しっかりと最後まで声も出ている。
相当トレーニングしているんだろうと想像する。


ミスチルライヴでパワーをもらえたような気がした。多分5万人の人が。



 

横浜で毎年開催されています「フューネラルビジネスフェア2017」を見てまいりました。

今年で21回目を迎えます。

この展示会は、東京流通センターという場所で始まり、その後パシフィコ横浜に移しました。


花屋さんの展示が目立ちます。やはり見栄えがするからでしょう。




他には棺も多く展示されています。葬儀にはつきものですからね。 


そして、何と広島カープの棺です。
カープファンにはたまらないかもしれません。


数年前からはデジタルサイネージという液晶モニターやLEDディスプレイを使った電子案内表示装置が 増えてきました。



取引先のお客様にもたくさんお会いしました。

今回久しぶりにこの展示会はお休みしましたが、8月の別な展示会に出展する旨をお伝えしました。

「しばらく来ていなかったけど久しぶりに来たよ 」という方も数名いました。




私の感想は、思ったより来場者が多く活況なイメージでした。


僕が1番目を引いたのはこの「シネマ葬」です。
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大胆な発想で祭壇の代わりに映像でお見せするという提案です。
お経の内容を映像にして映し出していました。
ただし事例はまだないそうです。


弊社はこれから8月の展示会に向けて準備をしていきます。

お取引先様には日程が近付きましたら順次ご案内いたします。 

 

あなたの血液型はなんですか?と聞かれて、ほとんどの人がすぐに答えることができるのが我々日本人です。
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それは新生児の時に、医師から教えられたことが多いということのようです。

しかし、今多くの産婦人科では血液型を伝えることをしなくなっているんだそうです。
理由は、生まれたばかりの時は血液型が安定していなかったり、母親からの血液型の影響が残っていたりするからだそうです。
ある程度成長して検査すると新生児の時と違う血液型になる場合もあるそうです。

間違った血液型で認識していると、親になり、子供ができてから血液型で問題になることがあり、そういったことを防止するためにあえて伝えないようにしているということです。

我々日本人は先ほど書いたようにほとんどの人が自分の血液型を認識していますが、外国の人は知らない人がほとんどらしいです。

日本を含め、東アジアの人はA,B,O,ABと割とバランスよくいますが、他の国ではかなり偏っているところも多いのだそうです。

自分の血液型に感心がないということのようです。

自分の血液型を知らないと、事故や病気の時に困るのではないかと思われるかもしれませんがそれは心配には及びません。輸血の際には必ず医療機関で調べてから行うそうです。それは先ほど書いたように、本人が実際とは違う思い込みのようなことがあるからです。

血液型による性格占いのようなことが日本では当たり前のように信じられていますが、ズバリ血液型と性格には関係性はないらしいです。 
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なぜかというと、他の国では血液型に偏りがあり、それで性格が決まるということはありえないということでした。

人の性格を4種類で区別するというのはそもそも乱暴な話です。

日本で信じられている理由は、当たっている部分があるからだと思います。
おそらく当たっていないところもあるのですが、当たっている部分だけを見てしまうと信用してしまうのかもしれません。

自分の血液型から性格を決めつけてしまっている恐れもあるのではないかという有識者の方もおられます。

自らを洗脳したり思い込みによりその傾向が強くなることも指摘されていました。

ですから、一般的に言われている血液型による性格判断は気にする必要はないということです。

こういうものが信じられているのは世界中で日本だけらしいです。





 

さて今回ご紹介するのは、「恋のかけひき」です。

アメリカ出身の3人組のバンドですが、お気付きの通りバンド名が結構長いです。
この長いバンド名をサラッと言えるのがプチ自慢だったような気もします。

このバンド名はダン・ハミルトン、ジョー・フランク、トミー・レイノルズの三人の名前をそのまま羅列したにすぎません。ジョー・フランクの名前だけがフルネームで入っていますがその理由はわかりません。
1970年にデビュー後、1971年に「恋のかけひき」を発表し大ヒットさせています。

このレコード持ってましたよ。懐かしいジャケットです。
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長いもみ上げが時代を表しています。

特長的なイントロから一気にヴォーカルが始まります。当時この曲は大のお気に入りでした。

ジャケットにダンヒル・シリーズとありますが、スリー・ドッグナイトやグラスルーツらとともにダンヒルレコード所属グループはダンヒルサウンドと呼ばれハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズもその代表格のアーティストでした。

1975年に「フォーリン・イン・ラヴ」で全米1位に輝いていますが、なぜかこの曲はあまり記憶にありません。

このブログを書くにあたり調べていると驚くべき事実がわかりました。
ダン・ハミルトンは「ザ・T・ボーンズ」というグループの出身で、あの有名なベンチャーズの弟分的な存在だったそうです。
そしてベンチャーズと言えば「テケテケテケテケ」というギターフレーズが超有名ですが、大ヒット曲である「ダイヤモンド・ヘッド」の作者がダン・ハミルトンということです。「へえー」ですよね。

もっとも若い方々はベンチャーズもご存知ないかと思いますが。当時一世を風靡した超有名バンドです。
エレキギターの代名詞のように扱われていました。

それではお聴きください。「恋のかけひき」

昨日豪雨のため、東海道新幹線が静岡ー浜松間で運転を停止したとのニュースがあった。

新幹線は非常に優秀な乗り物で地震以外で停止することはほとんど記憶にない。
雨で止まったというのだから相当な雨量だったのかと想像する。


そのニュースを聞いて東海豪雨の時のことを思い出した。

2000年9月11日のことだ。

東京で仕事を終え、東京駅を18時頃出発した。
静岡辺りまで来たとき徐行運転になり、「前方の列車と車間距離を保つため徐行運転します」とアナウンスが入った。

そしてしばらくすると、完全に停止する。前を行く列車が止まったからである。
どうやら名古屋駅で大雨のためトラブルが発生しているという情報だった。

この時、名古屋地区が大雨で各所が冠水していることはまったく知らない。

停まったのはいいが、ちょうどカーブのところで斜めになったままだった。どうにかもう少し動いてくれないかと思った。

そしてしばらく停止したのち、少し動き出しやっと平坦なところまできた。

この時はまだ「仕方ない、今日中に名古屋に着けばいいや」ぐらいの気持ちだった。

しかし待てど暮らせど新幹線は動かなかった。

こうなると、食事の問題が出てくる、たまたま車内販売でお弁当を購入していたのでとりあえず助かった。

そのうち、車内のトイレの一つに「使用禁止」の張り紙が付いた。

とうとう一晩そこで過ごすこととなる。
その列車は非常に席が空いていて3人席で横になって仮眠することができた、不幸中の幸いというやつだ。
僕は男性だから平気で寝ることができたが、女性の方々はおちおち眠れなかったかもしれない。

朝になってJRからおにぎりとお茶の差し入れがあった。
その後動き出し、確か浜松の駅に横付けした。
お昼近くになりおなかをすかしていた乗客らはホームにお弁当があるのではと期待していたが、ホームには何も用意されていなかった。

僕の乗っている列車の後続の車両が真横に停車したので、そちらの車両をふとのぞいてみると
ほぼ満員状態だった。おそらく横になって寝ることはできず大変だっただろうと想像する。

その後続列車は直接ホームに出れないので我々の乗っている車両にはしごをかけてホームに出れるようにした。
その人たちもホームに食べるものがあるのではと期待したに違いない。しかし何もないことに落胆していた。
tokaigouu-05(ネットから拾ったその日の写真)

こういう状況がわかっているのだからJRには何とかしてほしかった。

「一度列車を乗り換えてください」というアナウンスが入ったがすぐに「間違いでした戻ってください」というようなことでドタバタが続く、おなかもすいてくるので余計にイライラが募ってくる。

いつ発車するかわからない状態なので、列車の外に行きたいがなかなか行くこともできない。

そして僕はついに意を決して、ホームに出た。ホームの弁当屋さんは人の影もなく閑散としている。
急いでホームの階段を下り、改札口の近くまで来た。そしてその向こうの光景を見て絶句した。
なんとお弁当屋さんにはお弁当が山積み状態であるのだ。

駅員さんに弁当を買いたいので出してくださいと断り、浜松だからと「うなぎ弁当」を購入したことをよく覚えている。
そしてすぐに列車に戻り、食べていると周りの視線が気になった。そりゃそうだ、皆腹を空かせているに決まっている。一人で食べていることにはとても気が引けたが仕方がなかった。

僕は下に降り改札の外まで行けば山のようにあることを皆さんに教えた。
どれくらいの人がそこまで行く勇気を出せたかはわからない。
距離にして100mかそこらなのだが、この状況でそこまで行くにはとても勇気がいるのだ。

この時は本当にJRの不親切さに腹が立った。困っている人たちがいることがわかっているのだから、用意してあげるだけのことなのだ。別にタダでくれと言っているのではない、皆さんお金を払って買うと思う。

こういう災害時には水と食料の大切さが身に染みてわかった気がした。
食料に関して言えば、僕は幸運だったと思う。


その後、ようやく動き出し、名古屋に戻ってきた。
車窓から外を見て唖然とした。景色が一変していたのだ。
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いたるところが冠水し大きな水たまりというより池ができていた。そして車は何台も水没状態。

車内ではテレビもラジオもない、当時は今のようにインターネットを簡単に使える環境ではなかったのでほとんど情報らしい情報はなかったのだ。

後で聞いたのだが、名古屋駅までなんとか来たが電車が止まっていて、駅で一晩過ごしたという社員もいたそうだ。


名古屋駅のホームに降り、改札口に来るとやっと帰ってきたという懐かしみのような感情がわいた。
たった一晩のことだがとても長く感じ、疲労感もたっぷりあった。
22時間以上という新幹線開業以来最大の遅延となったそうだ。
改札口の当たりでは人がごった返していた、払い戻しの手続きか何かだろう。

僕は急いでタクシーに乗り、事務所に向かった。
この日は朝から月に1度の会議の日だったからだ。


多分もう2度とないだろう、新幹線の車中泊という経験は。


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