舘祐司の気ままなブログ

2016年07月

車のタイヤを新品交換しました。


現在の車を購入して以来なので、6年半ぶりのことです。 走行距離は約64000㎞弱です。

変えてみて驚きました。こんなに乗り心地が良くなるとは。

今まで、路面の凸凹にゴツゴツとした感触があったのですが、それがとても滑らかになったのです。


新しいタイヤはゴムが柔らかいからでしょうか?

こんなに乗り心地が良くなるならもっと早く変えればよかったとちょっと後悔です。

ここ最近群馬とか山梨へ遠出する機会が立て続けにありました。

晴天の時はいいのですが、雨が降り路面がスリッピーになるとやはり運転していてタイヤのことが気にかかり、ちょっと不安でした。

これからはそれも解消され気持ち良くドライブできます。 

トヨタ系のディーラーに勤めている友人のお世話になり、今回のタイヤ交換をしてもらいました。
とても感謝してます、いつもありがとう。

 

久しぶりに金沢に来ました。新幹線が開業してから初めてです。

やはり駅周辺がすっかり様変わりしていました。

新幹線の改札口です。

新幹線の改札口ではペッパー君がご案内しています。

駅のコンコースです。

とにかく、人が多いです。

駅前の様子です。

「あんと」というお土産屋さんが集まっているところです。

今日採れたてのブドウを販売していました。

以前来たことのある、お寿司屋さんでランチしましたが、お客さんの入りが前とは全く違っていました。

前は待ちなしで入れましたが、今回は15分ほど待たなくては入れませんでした。

駅前は小京都と呼ばれる金沢ならではの和風テイストにしても良かったような気がします。

なんか、それとは逆方向のような雰囲気なのが少し気になりました。

 

先日、取引先のある社長様とお話ししていた時のことです。

あるところの導入事例をご案内をしていた時に、その社長さんが「ということはその〇〇を買ってもらいたいということなんだね」とさりげなくおっしゃいました。

その言葉を聞いた瞬間、「あれっ?この感じどこかで聞いたことがある」と感じました。
そしてすぐに、その答えがわかりました。その社長さんのお父様の言い方にそっくりだったのです。

その昔、私は前社長についてその父上が社長や会長をされていた時代に何度か商談に立ち会わせてもらいました。

ですのでその方の言い回しやよく言うセリフなどが今でも記憶に残っていたのですね。

その商談というのも大変特徴的でたいていは物の5分で終了します。長くても10分以内には終わります。
僕が知る限りそれ以上長い商談には立ち会ったことがありません。
あとは雑談や業界の話をしていたような記憶です。

ほかにも、よく似ているな、と思えるところがあって心の中でニヤッとしていました。
親子ですから当たり前と言えば当たり前のことですが。


そんな話の途中で社長から「そうそう、熊本へ行ってきたよ」と不意に言われました。
「えっ、熊本ですか?」
「ほら、舘さんが前に教えてくれたじゃない。ユウベルプラザだっけ」
「ああ、ユウベルプラザさん」…だいぶ時間がたっていたので少し忘れかけていました。

先方の社長様に電話連絡して実際の施設を見学してこられたとのこと。
「東京でできることとそうでないことがあるね」などとおっしゃっていました。

いやあ、驚きました。ちゃんと覚えていてくださったんですね。ちょっと感激です。

人の言葉に聞く耳を持っていらっしゃるということが素晴らしいです。
そして、ご自身の目で確かめようと行動に移されるということがまた素晴らしい。

「とても参考になりましたよ」とおっしゃっていただき何よりです。

聞く耳を持つ事と行動力が大切なことだと改めて気付くことができました。

アピオ甲府にて、今年のセレス会定期総会が開催されました。

毎年多くの取引業者が集まります。昨年は113社133名が集まったそうです。

保坂会長のご発声で総会が始まります。

「セレス会発展のために皆様のご協力をお願いします」

滞りなく総会は終了し、懇親会へと進みます。

冒頭大石社長のご挨拶です。

いつもお願いばかりで申し訳ないですが皆様のご協力を引き続きお願いします。
少子高齢化社会の中、冠婚葬祭の世界も厳しくなっています。原点に立ち帰って考えていきたいと思います。
ファミリーラブという名前は家族を大切にする社名です。
家族を支援する会社であり続けたいと思っています。
8月の感謝祭には家族が気軽に立ち寄れる場所にしていきたいと考えています。
皆さん、今後ともよろしくお願いします。とのことでした。 

葬儀、婚礼を紹介した企業さんに記念品の授与がありました。



そして、乾杯のご発声で懇親会がスタートします。 



たまたま隣の席に座られた方と名刺交換をするとすぐに、「あ、ブログを書かれてる方ですね」と言われました。どうやら今日ここに来る途中で昨年のセレス会のブログがヒットし、ご覧いただいたようです。
初対面の方から、こんな言葉を聞くとは思ってませんでしたので、とても励みになります。

細谷会長、大石社長と記念撮影です。

細谷会長から「岸さんは最近どうされていますか」と尋ねられ
「忙しく元気に過ごされていますよ。詳しくはブログを見ていただければわかります」とお答えすると、
笑いながら「そうね、時々見てますよ」とおっしゃっていました。


夜桜冬美さんのモノマネショーがあり、盛り上がりました。(写真撮り忘れました)

さて、宴もたけなわですが、中締めは細谷会長です。 

三本締めで 力強く締められました。

皆様、お疲れ様でした。 

夏休みに友人4人でバイクツーリングを兼ねてキャンプに行こうということになった。

今から約40年前のことだ。

当時僕らは高校生で皆バイクに乗っていた。バイクといっても原付の50ccだ。
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(これと同じ形式で同じオレンジ色を当時所有していた)

「どこへ行こうか?」となって、「海がいいなあ」でも知多の海は行きたくないし、どうせなら日本海の海に行こう。と。すぐに敦賀方面の海に行くことになった。

当時、僕の父親が敦賀の美浜原発で仕事をしていた関係もありちょっとだけ地理に明るかったというのも背中を押した。

そして出発の日が来た。
天気は上々、快適に進んでいく。
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(イメージです)
たまにすれ違うバイクの人とは必ず左手で会釈のようなことをするのが当時は礼儀のようなものだった。
それがまた、妙に親近感がわき気持ちがいい。

5時間ほど運転していたと思うが、楽しくてまったく気にならなかった。
ようやく海岸の見える付近までたどり着き、さあどこでテントを張ろうかという算段になる。
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(イメージです)

キャンプ場ではないので、水が確保できたり、テントが張れる環境だったりといろいろ条件が必要になるのだ。
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(イメージです)

何とかよさそうな場所を見つけて、テントを張り、少し休憩をとって夕食の準備に取り掛かる。
飯盒炊爨をするつもりできたが、アウトドアにたけた人間はほぼいない。

ただ昔経験したことはあるよね…程度の浅い、うろ覚えな状態でやっている。
それでもえらいものでまあまあうまいことご飯を炊けた。これは奇跡的なことだ。
確かカレーライスをつくったような気がする。

何とか楽しく1日目を過ごすことができた。


そして一夜明け、状況は一変することになる。

「雨だ!」…正直なところあまり雨のことなど考えていなかった。うかつなことに4人ともそうらしい。

しかも結構な降り方だ。仕方なく急いでテントやそのほかのものを片付ける。

そして、バイクに乗りその場から撤退を余儀なくされた。

どこか雨宿りをするところがないか、探していると、偶然にも小さな小屋を発見した。
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(イメージです、実際はもっと古ぼけてみすぼらしい感じだった)

近づいて中の様子を見てみる、すると中はがらーんとしていて何もない。そして入口の扉にも鍵がかかってない。

なんというラッキー、ひとまず雨宿りもできるし、なんなら寝ることもできるぞ、と全員で喜んだ。

この前の北海道で助かった男の子もおそらくこんな気分だったに違いない。

建設会社が事務所で使っていたのか、何かわからなかったがとにかくありがたかった。
雨どころか風もしのげるしっかりした小屋だったからだ。

少し落ち着きを取り戻して、さあ、これからどうしようということになり、今日はここで一晩過ごして明日帰ろうか、などと話し穏やかなムードになった。

外は雨だし、何しようとなったとき、誰かが「怖い話しよう」となり、すぐに話はまとまった。…かに見えた。
3人は盛り上がったのだが、1人だけ急におとなしくなりしゃべらなくなってしまった奴がいた。

「どうした、どうした」「元気ないじゃん」

「黙ってないで、なんか言えよ」と言うと…「言いたくない」…何となくおびえたような顔に見える。

「なんでだよ」…「いいから言えって」………「じゃあ言おうか」

その彼がようやく重い口を開いて放った一言。

「この小屋の下に死体が埋まってたらどうする?」………沈黙。

この一言により全員が一瞬で凍り付いた。背中がゾーッとなり、身の毛もよだつとはこのことかと思うくらい衝撃が走った。

となるともうここにはいられない。「とにかくここから離れよう」と再びバイクに飛び乗る。

雨は降り続いている。どうやら、九州に台風が上陸しその影響で雨が降っているらしい。

どうする、雨がやみそうな気配はない、かといってテントで寝るのは無理だ。

そこで出した結論は「名古屋へ帰ることにしよう」だった。

そうして、逃げるようにそこから立ち去り、雨の中を延々また5時間ほど走って帰った。

行きの楽しさはどこかへ吹っ飛んでしまい、帰りは皆無言でひたすら早くうちに帰りたい一心だった。

今思うと、若さがなせる無謀な旅だが、旅はいろんなことを経験させてくれる。

その時は恐怖心で大変だったが、何年かするとそれも笑い話になるのだ。
だって、その時は考えられなかったが、死体が埋まっている確率などたぶん1%もないだろう。

でもあの時は「埋まっていたら」という言葉で全員そのようにイメージしてしまった。
あのタイミングであの言葉を言われたらもうどうしようもなかった。
なぜか一人も冷静に「そんなことあるはずないじゃん」と言える者がいなかったのだ。
そのような状況下になると人は大勢の意見に迎合していく心理状態になるのだろうか。

夏の日の雨で昔のそんな記憶がふと甦った。

ちょっと間抜けな高校生の珍道中の話である。

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