ビートルズはたった1回だけ1966年に日本武道館でライヴ演奏を行いました。
それを主催したのがなんとCBC(中部日本放送 )なんですって。(読売新聞社と共同)
いやあ知りませんでした。
日本公演はあまりにも有名なことで、知っていましたが CBC放送が主催したとは。
ちょっと驚きました。
今から50年前の6月29日に4人は羽田空港に降り立ちました。
僕は8歳のころです。なんとなく世間で「ビートルズ、ビートルズ」と騒がれていたように覚えていますが、はっきりとした記憶はありません。
小学6年生の頃に知り合いの高校生のお兄さんから「これがビートルズだよ」と聞かせてもらったところ、すごく新鮮な音楽に感じたことは鮮明に覚えています。
リンゴの絵が付いたレコード盤で曲は「プリーズ・プリーズ・ミー」でした。
のちに、友人の伯母さんから聞いた話ですが、当日会場で、席を離れたくないためトイレに行くことができず、その場で済ませてしまったということが実際にあったとか。とにかく異常な熱狂ぶりの状態だったことは間違いないようです。
司会のE・Hエリックさんが観客のあまりの熱狂ぶりに気圧(けお)されて、用意していたトークがすべて飛んでしまい、登場してたった一言「Beatles!」と叫ぶのが精いっぱいだった。という逸話がラジオで放送されていました。
これも有名なことですが、前座でドリフターズが演奏しました。
(ほかにも多数出演があり内田裕也、尾藤イサオ、ブルーコメッツなどがいるそうです)
あのいかりや長介さん率いるバンドというかコメディグループというか…です。
コメディアンとして一世を風靡しましたが、ドリフターズは実力派のプロミュージシャンでもあったのです。
ミュージシャンがスーツにネクタイ姿ですよ。歴史を感じますね。でもかっこいい。
この日本公演の模様がテレビ放送されたそうですが、なんと56.5%という驚異的な視聴率を取ったそうです。
これは特別番組の日本最高視聴率として記録されているそうです。
「カラー放送」と表示されているところが時代を感じます。
そして1966年7月3日ビートルズの4人は日本を飛び立ちました。
次のツアー先フィリピンに向かったのです。
そこでの演奏がビートルズ最後のコンサートになるとはその時は誰も想像していませんでした。
時がたち50年前に熱狂した人たちは、歳を重ね高齢者の仲間入りになっていると思います。
しかし50年経った今でも、そしてこれから先もビートルズが作り上げた音楽は色あせることはありません。
それを主催したのがなんとCBC(中部日本放送 )なんですって。(読売新聞社と共同)
いやあ知りませんでした。
日本公演はあまりにも有名なことで、知っていましたが CBC放送が主催したとは。
ちょっと驚きました。
今から50年前の6月29日に4人は羽田空港に降り立ちました。
僕は8歳のころです。なんとなく世間で「ビートルズ、ビートルズ」と騒がれていたように覚えていますが、はっきりとした記憶はありません。
小学6年生の頃に知り合いの高校生のお兄さんから「これがビートルズだよ」と聞かせてもらったところ、すごく新鮮な音楽に感じたことは鮮明に覚えています。
リンゴの絵が付いたレコード盤で曲は「プリーズ・プリーズ・ミー」でした。
のちに、友人の伯母さんから聞いた話ですが、当日会場で、席を離れたくないためトイレに行くことができず、その場で済ませてしまったということが実際にあったとか。とにかく異常な熱狂ぶりの状態だったことは間違いないようです。
司会のE・Hエリックさんが観客のあまりの熱狂ぶりに気圧(けお)されて、用意していたトークがすべて飛んでしまい、登場してたった一言「Beatles!」と叫ぶのが精いっぱいだった。という逸話がラジオで放送されていました。
これも有名なことですが、前座でドリフターズが演奏しました。
(ほかにも多数出演があり内田裕也、尾藤イサオ、ブルーコメッツなどがいるそうです)
あのいかりや長介さん率いるバンドというかコメディグループというか…です。
コメディアンとして一世を風靡しましたが、ドリフターズは実力派のプロミュージシャンでもあったのです。
ミュージシャンがスーツにネクタイ姿ですよ。歴史を感じますね。でもかっこいい。
この日本公演の模様がテレビ放送されたそうですが、なんと56.5%という驚異的な視聴率を取ったそうです。
これは特別番組の日本最高視聴率として記録されているそうです。
「カラー放送」と表示されているところが時代を感じます。
そして1966年7月3日ビートルズの4人は日本を飛び立ちました。
次のツアー先フィリピンに向かったのです。
そこでの演奏がビートルズ最後のコンサートになるとはその時は誰も想像していませんでした。
時がたち50年前に熱狂した人たちは、歳を重ね高齢者の仲間入りになっていると思います。
しかし50年経った今でも、そしてこれから先もビートルズが作り上げた音楽は色あせることはありません。