舘祐司の気ままなブログ

2016年01月

説明の必要はないと思うが「永ちゃん」と言えばもちろん「矢沢永吉」のことである。

1973年リーゼントに革ジャンスタイルで、ストレートなロックンロールを演奏するバンドが登場した。〜「キャロル」である。

「キャロル」の中心にいたのは、ヴォーカルとベースを担当していた「矢沢永吉」だ。
アマチュア時代はビートルズのコピーをやっていたらしいが、「不良少年」のイメージで売り出した。それも初期のビートルズに習ってのことなのかもしれない。

デビューシングルから連続してヒットを飛ばし、一躍スターとなる。
ここからロックンローラー「矢沢永吉」がメジャーになったわけである。
今までにないファッションや音楽性で瞬く間に虜になり、よくレコードを聴いた。

その当時、高校生だった僕らは、「よし、バンドをやろう」ということになり、友人らと楽器を買い、よく集まって練習をした。コピー曲はキャロルの「ルイジアンナ」や「ファンキー・モンキー・ベイビー」そしてビートルズ「オブラディオブラダ」だった。

音楽的な才能のある者がいなかったため、披露できるほどまともに1曲もできていなかった。
ま、男の子の遊びの一つだ。バンドに憧れる時期ってみんなあるんじゃないかな。
自分たちの音楽的才能をわかっていたから、誰も「プロをめざそう」なんて事も言わなかったし、(当たり前だ)集まって"ジャカジャカ"やるのが楽しくて、結構充実した時間だった。


そんなことをしているうちに、「キャロル」はわずか2年半という短い期間で解散を発表する。僕らにも衝撃が走った。
人気絶頂期の彼らに「解散」という言葉はどこにも見当たらなかったからだ。
解散コンサートが行われるという情報を聞き、これは絶対見に行かなくてはとチケットを買った。名古屋は名古屋市公会堂で行われたのだが、始まる前に鶴舞公園あたりに行くとナナハンに乗った若者たちが集まり、異様な光景があった。


前座は宇崎竜童率いる「ダウンタウンブギウギバンド」だった。
正直なところ、みんなキャロルを見に来ているので前座など必要なかったように思う。
まだ人気が出る前の頃で、あまり盛り上がらずに少し気の毒な気がした。

さあ、いよいよ「キャロル」の登場だ。
メンバーがステージに現れると、ポマードの匂いがプーンと鼻をついてきた。
「これが本物のキャロルか。永ちゃんか、カッコいいな」
公会堂という会場は大して広くないので、かなり近い距離に「永ちゃん」がいるという事実は、それだけでも興奮するには十分だった。


当時キャロルはやんちゃな若者たちから圧倒的に支持されていた。
その日もそんな若者でごった返しており、一触即発の緊張感があった。

演奏が始まりしばらくしてからのことだ、一人の若者が狂ったように踊りだしたのだ。
その若者は長髪でベルボトムのジーンズという風体でこの場では異彩を放っていた。しかも、片手には一升瓶を持ちながらという状況で、誰の目から見ても「迷惑な奴」だった。
すると案の定小競り合いが始まり、気がつけばボコボコにされていた。

するとステージからそれに気がついた永ちゃんが「喧嘩はやめようぜ」のようなことを言って終息した。
一升瓶男は口の周りを赤く染めて会場を後にした。

永ちゃんのライヴはこの1回きりしか行けてないが、このシーンは今も覚えている。


最後の東京日比谷野外音楽堂でのラストコンサートはのちに「キャロル」を伝説にした。
そのライヴ音源がレコードとして売り出され迷わず購入した。
解散してもなお、僕らを痺れさせてくれたのだ。


キャロルが解散して、これから永ちゃんたちはどうなっていくんだろう。
後に「矢沢永吉」があそこまでビッグなロックスターになるとは知る由もない頃だ。

そして「矢沢永吉」はソロ活動に入る。
解散の約1年前の1974年に「夏の終わり」という曲が発表された、曲調がこれまでと変わった。
僕は少し違和感を感じたが、後にして思えばソロになってからの「矢沢永吉」を予感させる曲だったと言える。


(ソロ編に続く)





時間が15分20分あり、近くに書店があるとついフラッと立ち寄ってしまう。
これは!と思った本に出会うと衝動的に本を購入してしまうこともある。
書店の雰囲気と言うか、空気がなんか心地よく感じられるのだ。
ただどこの書店でもというわけではない。
やはり行き慣れたお店はどこにどんな種類の本が陳列されているか、わかっているのですごく安心感があり、自分の庭のような感覚がする。
購入目的があろうがなかろうが店に入り、今こんな本が売れているのか、あの作家の新刊が発売されたな、などなど見て回っているのがなんか心地よい。
1月6日の中日新聞で女優の佐藤江梨子さんのコメントを以下のように載せていた。
(彼女は子供時代から本屋さんで多くの本と出会いがあったと述べている)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一つでも多くの書店さんに存続してもらうには、みんなが行きたくなるような差別化が必要なんじゃないかなと思うんです。
例えば紀伊国屋書店は私にとってテーマパークのようなものです。書店員のお薦めの本にはっとさせられ、見たことのないゆるキャラのパネルがアニメコーナーに現れたりする。インターネットで地図を表示できる時代に、頑固に磁石付きの地図を並べているのもすごい。1日いても飽きないんですよね。ヴィレッジヴァンガードも、思いがけないものを見つけられるわくわく感があります。
本屋さんは、子供から大人までが物語を探しに行く場所だと思います。
(中略)
昨年生まれた長男にも、いつかそんな出会いを経験させてあげたいですね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これを読んで僕自身ハッとした。
それは、まず「書店はテーマパークのようなもの」というくだり、全く僕もその感覚が理解できるというか、なんとも言えないわくわく感がある。
何万冊の中からある日ポンと一冊の本と出合うわけで、まずはそれ自体が夢のような話である。そしてそれぞれの本の中にそれぞれの世界が宇宙のごとく広がっている。
夢の数ではテーマパークに全く引けを取らないように思えてならない。

そして「長男にも、いつかそんな出会いを経験させてあげたい」…僕も娘が多分小学生の頃だと思うが、読書を勧めたことがある。
それほど深い意味はなかったのだが、僕自身が子供の頃、漫画本も含めて割と好きでよく読んだ記憶がある。そのおかげでまだ習っていない漢字が知らぬ間に読めるようになっていた、自然に頭に入っていたのだろう。
また、単純に読書が好きになってくれればいいなぐらいの感じだと記憶している。

本は書店で購入するものだと思っている。

なぜなら、情報を持たずに書店に行き、出会いを大切にしたいからである。
またわくわくしながら僕は書店に足を運ぶ。

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「解離性同一障害」という心の病を題材に書かれた小説です。

「解離性同一障害」とはどんな病気なのでしょうか、…一言で言えば、多重人格を持つ人もその一つです。

1980年代にアメリカで発生し、その後、雨後の筍のごとく急に増加したそうです。
心の病なので、ウィルスなどは存在していません。ではなぜ急に激増したのでしょうか。

例えば日本では「狐憑き」西洋では「悪魔憑き」というようなことが昔からあります。
ただそれは、多重人格ではなく広義のヒステリーと考えられているそうです。
精神医学的なヒステリーというのは、身体的には全く問題がないのに体が動かなくなったり、目が見えなくなったり病気にそっくりな症状が出たりするそうです。

鬱病などもそういった部類の精神的な病です。

つまり、人間の非常にデリケートな部分のことで、はたして病気なのか、単なる思い込みなのか、あるいは芝居がかっているのか、その判別がとても難しいことから、「その症状はこれです」といった明快な診断が出せなかったのだと思います。


実は「解離性同一障害」の原因と考えられている中に「児童虐待」の問題があります。
幼い子供が親から虐待を受けた時、どこにも逃げ場はありません。その結果、本来の自己を捨てて他の人格に逃げてしまうということが起こる場合があると考えられています。
ある程度の年齢になれば、どこかへ逃避行するとか、誰かに相談するというような他の選択が出てくるのでしょうが、幼き子供にはほとんど選択の余地がありません。

例えば、本来の人格がA、新しい人格がBとします。AがB人格になっている間の記憶は残ってないそうです。

大抵この病気を持つ人の場合十数人の人格を持つことが多いそうです。辛いことがあればあるほど別人格が増加していく傾向があるようです。そして年齢や性別も関係なく色々な人格が現れるといいます。

すべては本来のAから生まれてきているものと考えられており、治療はその多重人格を一つに統合することを目指します。カウンセリングや催眠療法などを用いて行うそうですが、そのあたりの詳しいことはこの本の中でうまく解説されています。

ある時、見ず知らずの人から友達のように話しかけられたり、覚えのない借金の取り立てがあったりしたら、どう思いますか?…訳が分からず何処かに逃げたくなりませんか?
周りの人からは頭がおかしいと色眼鏡で見られ、友人はなくなり、外出するのも気が引けてくるでしょう。自分に置き換えて考えるとゾッとします。そんな恐ろしい病気なのです。

しかし、考えてみると我々も普段は理性で自己をコントロールしています。
通常は表の部分しか見ることはできません。
内面はその本人のみが知るところです。どんな人も表と裏の部分があるとすれば、多重人格という要素を持っていると言えます。ただその裏の人格に支配されるところの手前で本来の人格がコントロールしているのかもしれません。この「プリズム」を読むとそんな風に思えてきます。

そう考えると案外身近なところにある病気なのかもしれません。

小説は、主人公である「梅田聡子」が家庭教師の仕事先で、1人の男と知り合います。そしてその男が「解離性同一障害」だということを知ります。少しずつ興味を持ち、会って話しているうちになんと、その男の裏人格の1人と恋に落ちてしまうというストーリーです。

裏人格ですから、実在はしていません。Aの体を借りているBという存在です。
一見ありえない話に思えますが、もしかすると現実的にあり得る話のようにも思えてくるから不思議です。
さあ、どんな結末が待っているのでしょうか。



人間の心の内面のデリケートなところを中心に展開し、ちょっと奇妙で不思議な世界でしたが、とても面白く読むことができました。



地球上理性を持ちたる唯一の我が人類は複雑怪奇


イベント業界の展示会を見てきました。
LEDディスプレイの展示です。ピッチ2.6mmとかなりの高精細でパッと見た感じではLEDのような気がしません。

空間に映像が浮かんでいるように見えますが、シースルーのスクリーンがありそれに映像投影しています。

お子様向けの遊具です。ガチャピン、ムックも居ました。

モンチッチとお姉さん。

着ぐるみダンサーズ。

例の360度映像が展開するVRを使ったアトラクション、恐竜の映像が見えているようです。

写真では止まっていますが、口や体が動いている恐竜。

動き回る恐竜の展示もありました。中に人が入ってるそうですがかなりリアルです。

絵画かなと思ったら。

絵が動き出し、こんな風に威嚇します、…同時にエアが吹き付けられるため、びっくりします。

ゾンビの顔で映る鏡。急に老け込んだわけではありません(笑)

ん?なんか変な人がいる⁇。

振り向くと、…「ギャー」…このゾンビ、声も出ます。あービックリ。

ホラーな館。

のっぽ人形。このまま歩きます。

動物着ぐるみたち。

簡易的なスライダー、子供には大ウケ間違いなし。

他には裸眼で3D映像が見れるシステムもありました。
これはなかなか素晴らしいですが、結構コストがかかります。
(人の目でないと見れないため写真で紹介できないのが残念です)

イベント産業は夢のある展示が多く、面白いです。
何か商品提案のヒントになればいいな、と思いながら見ていました。

1月26日 東京アンフェリシオンにて全中協の新年懇親会が行われました。

まずは理事長のご挨拶、株式会社ライフシステム小泉社長です。

次に購買委員長の株式会社ナウエル宮嶋社長からお言葉があり、最近自社の売り上げ目標よりも全中協の売り上げ目標の方が気になってしまい大変だ、と会場を笑いに包みました。

パートナー会を代表して株式会社国際経営井上会長からご挨拶です。


そして、福利厚生事業委員長の株式会社日冠小泉社長から乾杯のご発声がありスタートです。

FB友達でもある株式会社日冠小泉社長と株式会社セレモニア鈴木社長と記念撮影です。

ゲストに株式会社第一生命経済研究所の小谷みどりさんが出席されていました。
昨年9月に名古屋の平安閣さんの懇親会でお会いして以来で、まさか再開できるとは思ってもおらず驚きました。
名古屋冠婚葬祭互助会 懇親会 2015 

少しお話しさせていただいたところ、隣になった株式会社千代田大石社長とちょうどその時の名古屋の 話しで盛り上がっておられたとか、やはりご縁があるのかもしれません。
(今回写真を撮るタイミングがなかったため昨年9月の写真です)


最後の中締めは株式会社日冠の小泉会長の三本締めで終了しました。
今回も多くのお取引先の皆様と情報交換ができ有意義な時間になりました。
次回は仙台で懇親会の予定があるとのことでした。
また、よろしくお願いします。

 

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