お墓参りにやってきた。
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僕の祖父が作った墓が四日市にある。

祖父は四日市の出身でその後学生時代に名古屋に移った。

僕の記憶では、四日市の富田中学(旧制)から在学中に自身の決断で名古屋市北区の愛知県立工業学校(現在の愛知県立愛知工業高校)(以下愛工)に編入試験を受けて転校したと聞いた。
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この愛工は歴史が古く1901年(明治36年)に開校している。
祖父は確か一けた台の卒業生だったと思う。

愛工を卒業後、北区にあった名古屋工業技術試験所という公的機関で定年まで働いた。
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機械科専攻だったと聞いているのでいろんな機械試験や研究をしていたのだと思う。

この名古屋工業技術試験所は2001年に省庁再編成に伴い経済産業省所管の国立研究所(産業技術総合研究所)となり守山区に移転している。

独立行政法人産業技術総合研究所中部センターという名称で発足している。
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そののち、2015年に国立研究開発法人産業技術総合研究所中部センターという長ったらしい名称に変わり現在に至っているとのこと。

名前が長すぎてなかなか入ってこないが、略して産総研中部センターと呼ばれているようだ。

ここのHPによると”日本の産業を支える多様な分野の研究を行うわが国最大級の公的研究機関です。”となっている。
日本で最大の研究機関が名古屋にあるとは、少し意外な気もするが事実なのだ。

そのように振り返ると祖父はすごいところで仕事していた人なのかと改めて感心する。

僕が中学生時代祖父から、「愛工に行け」と勧められて、言われるまま愛工を受験した。
何もわからなかったのでこれまた勧められるまま建築科に入学した。

その当時、公務員試験を受けるように勧められたが、どうも公務員のイメージが僕には合わずそれは断念した。
もしその道に行っていたら、また違う人生になっていたのだと思うと、家族の言葉の力は大きいと思う。

昭和50年2月、73歳で他界した祖父、おじいちゃん子だった僕はその時悲しかった。

一度だけ救急車に乗ったことがある。
ある日の夜、祖父の様態が急変し祖母が救急車を呼んだ。
そして祖母と僕が付き添って病院まで行った。
時間にすれば10分か15分くらいのことだが、どうしていいのかわからない不安などが入り交り、頭の中はちょっとしたパニック状態だ。

祖父の思い出がよみがえる、お墓参りだ。