オリビア・ニュートン・ジョンさんが8月8日に亡くなられて早2ヶ月が経とうとしています。まだ73歳という若さで早すぎるお別れなのですが、長い間乳がんと戦っておられたそうで、そういう意味ではやっとその苦しみから解放されたと言えるかもしれません。
さて追悼の意味も込めまして今回も彼女のヒット曲から紹介したいと思います。
1972年にイギリスで発表され日本では1976年にリリースされヒットした「カントリー・ロード」 です。
この曲をご存知ない方はほとんどいないのではないかというくらい有名な曲で、原曲はジョン・デンバーで1971年に発表し、全米2位に輝きました。当時日本では「故郷へ帰りたい」というタイトルでした。
名曲中の名曲と言っていいと思います。多くのミュージシャンにカバーされ支持を得ています。
若い世代の方々にはジブリ映画「耳をすませば」 で挿入歌として日本語の歌詞で馴染みがあるかと思います。
原曲の歌詞の意味を調べてみますとちょっと面白いことがわかりました。
まずこの歌で故郷とされているのは歌詞に何度も出てくるウェストバージニアです。「ウェストバージニアの母なる山 」というワードが繰り返し歌われています。ブルーリッジ山脈やシェナンドー川といった名称も出てきます。
故郷を出て都会に暮らしているが、故郷で見る美しい山々や川の流れが恋しく感じられ、ノスタルジックな感傷になっている様子を歌っているのかなと想像します。
「カントリー・ロード 」は直訳すると「故郷への道」ということになりますが、実は故郷に向かう道のりで見える山や川などにとても思い入れがあるということのようです。
オリビア・ニュートン・ジョンさんは元々イングランド生まれで、父親の仕事の関係で5歳の時(1953年)にオーストラリアに移住されたのち、1966年にイギリスに戻ってデビューされています。その後世界的なシンガーとなって1975年からはアメリカで活動されました。
彼女がこの「カントリー・ロード 」をリリースしたのは1972年ですからイギリスで活動されている時になります。もしかするとオーストラリアの風景をウェストバージニアの自然にオーバーラップしながら歌われていたのかもしれませんね。
この時代、本当に清楚なイメージで素敵な方でした。
それではオリビア・ニュートン・ジョンで「カントリー・ロード」お聴きください。
2003年東京でのライブです。原曲とは少し違うアレンジで披露されています。
さて追悼の意味も込めまして今回も彼女のヒット曲から紹介したいと思います。
1972年にイギリスで発表され日本では1976年にリリースされヒットした「カントリー・ロード」 です。
この曲をご存知ない方はほとんどいないのではないかというくらい有名な曲で、原曲はジョン・デンバーで1971年に発表し、全米2位に輝きました。当時日本では「故郷へ帰りたい」というタイトルでした。
名曲中の名曲と言っていいと思います。多くのミュージシャンにカバーされ支持を得ています。
若い世代の方々にはジブリ映画「耳をすませば」 で挿入歌として日本語の歌詞で馴染みがあるかと思います。
原曲の歌詞の意味を調べてみますとちょっと面白いことがわかりました。
まずこの歌で故郷とされているのは歌詞に何度も出てくるウェストバージニアです。「ウェストバージニアの母なる山 」というワードが繰り返し歌われています。ブルーリッジ山脈やシェナンドー川といった名称も出てきます。
故郷を出て都会に暮らしているが、故郷で見る美しい山々や川の流れが恋しく感じられ、ノスタルジックな感傷になっている様子を歌っているのかなと想像します。
「カントリー・ロード 」は直訳すると「故郷への道」ということになりますが、実は故郷に向かう道のりで見える山や川などにとても思い入れがあるということのようです。
オリビア・ニュートン・ジョンさんは元々イングランド生まれで、父親の仕事の関係で5歳の時(1953年)にオーストラリアに移住されたのち、1966年にイギリスに戻ってデビューされています。その後世界的なシンガーとなって1975年からはアメリカで活動されました。
彼女がこの「カントリー・ロード 」をリリースしたのは1972年ですからイギリスで活動されている時になります。もしかするとオーストラリアの風景をウェストバージニアの自然にオーバーラップしながら歌われていたのかもしれませんね。
この時代、本当に清楚なイメージで素敵な方でした。
それではオリビア・ニュートン・ジョンで「カントリー・ロード」お聴きください。
2003年東京でのライブです。原曲とは少し違うアレンジで披露されています。