舘祐司の気ままなブログ



前回ペチュニアやニチニチソウを購入しましたが、ピンクや赤系統の色が多く、黄色い花が少ないのが気になっていました。そこで今回は黄色い花を中心に探しました。

まず目についたのが、マリーゴールドです。鮮やかな黄色です。

ツートーンカラーの種類も購入しました。

そして、ひときわ目を引くのがこれ、アフリカンマリーゴールドです。花の塊がゴルフボール2,3個分ほどあります。

他には、変わった花の形をしたペチュニアの仲間です。花の形だけ見るとペチュニアには見えませんが、葉や茎の形を見ると仲間だというのがわかります。

ペチュニアは液肥をこまめに与えるとどんどん花が咲くと聞きました。


それぞれ鉢に植え替えて、何とかおさまりました。

前回購入した花たちも順調に育っています。

ルリマツリもようやく花をつけてきました。

もうそろそろ、スペース的に限界かも?

6月3日にプロボクシングの元ヘビー級世界王者、ムハマド・アリ氏が死去したと報道されました。

僕が彼の名前を知った頃は「カシアス・クレイ 」というネームでした。
KO予告をしたりする事から「ホラ吹きクレイ」という異名がついていました。
でも、予告通りに実行する実力も併せ持っていたのです。

「チョウのように舞い、ハチのように刺す」…これは1964年にソニー・リストンとの世界戦を前に言った言葉としてあまりにも有名ですが、彼のボクシングスタイルを象徴した言葉として最もふさわしいと思います。
ヘビー級といえば、最重量のクラスですから、フットワークを使う選手はほとんど皆無で軽視されパンチ力の勝負が多かったのです。

そこに、ヘビー級としては考えられないような華麗なステップで相手を翻弄し、隙をみてはパンチを見舞う。まさにあの言葉通りのボクシングを展開し、見事にタイトルホルダーとして君臨したわけです。
試合後「I am the greatest」(俺が最も偉大だ)という言葉で鮮烈に表舞台に立ちました。

その後、ムハマド・アリに名前を変え、1971年にジョー・フレージャーに敗れタイトルを失います。
ジョー・フレージャーとは永遠のライバル関係で、この後にも素晴らしい戦いを見せてくれます。

しかし、その3年後の1974年に当時絶対的な王者だった、ジョージ・フォアマンに挑み見事チャンピオンに返り咲きます。当時アリ氏は32歳、ボクサーとしては下り坂で、フォアマンが圧倒的に有利だろうというのが大方の見方でした。

この時の試合はよく覚えています。 
アリ氏がロープを背にし、フォアマンがパンチを連打するというシーンが 何度もありました。
両腕でガードはきっちり固めています。
当時のフォアマンは殺人パンチと言われ、ヘビー級の中でも突出したハードパンチャーでした。
マットに沈むのも時間の問題かと思われました。 

「あー、やっぱりフォアマン強い」と思って見ていると、ちょっと様子が変わってきます。
ロープを背にしながらアリ氏がフォアマンに何か言っていました。
「どうした、それだけか、もっと打ってこいよ」 おそらくそんな挑発の言葉だったのでしょう。
若いフォアマンはそれに対し血が上った事だと思います。(当時25歳)

打たれているように見せかけ実は打たせていたのです。散々打たせて疲れさせる作戦だったのでしょう。
攻めているように見えるフォアマンよりもロープを背にしているアリ氏の方が余裕が感じられます。
そしてそれが功を奏し、何とフォアマンをKOで下し 王者に返り咲きました。
この大番狂わせはのちに「キンシャサの奇跡」 と呼ばれました。


1976年、世紀の一戦が行われました。
それは、ムハマド・アリ対アントニオ猪木の異種格闘技という試合です。
これは日本中の人の注目を集めたと記憶しています。

残念ながら試合は期待はずれな 内容で「世紀の凡戦」と酷評されてしまいましたが、僕らはなぜか大興奮して友人たちとテレビ観戦した記憶があります。当時高校生でした。

あれ以来、そんな試合は催された事はないと思いますので相当珍しい事です、それを企画した方々もかなりの勇気があったのだろうと今更ながら感心します。

しかしその後も、1978年にスピンクスを破り3度目の王者に輝いています。
この時36歳です。ボクシングでは引退していてもおかしくない年齢です。まさにグレートです。

引退後はパーキンソン病になり、表舞台に顔を出す事もなく、過ごされていたようです。

そして、 1996年アトランタオリンピックの最終聖火点火者として久しぶりに我々の前に姿を見せてくれました。聖火を持つ手は小刻みに震えていた事を思い出します。

プロボクサーとして 数々の名勝負を見せ、ボクシングの魅力を体現してくれました。
多くのファンが、いやファンだけでなく 多くの人が彼に魅了された事だと思います。
天国でも きっと「チョウのように舞い、ハチのように刺す」のでしょうね。
ご冥福をお祈りします。

 

「リバーサイドホテル」…ご存知井上陽水氏のヒット曲です。(1982年発表)
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まずはこの曲の歌詞を振り返りましょう。 

♬「誰も知らない 夜明けが明けた時」で始まります。

そしてサビの部分
♬「ホテルはリバーサイド」 
「川沿いリバーサイド」
「食事もリバーサイド」
「ohーリバーサイド」 

ここまでで歌詞について何か気づかれたことありますか?
勘のいい方はピンときたかもしれません。

わかりやすいところで言えば、 「川沿いリバーサイド」です。

「リバーサイド 」と「川沿い」は同じ事ですよね。

そうなんです。つまり歌詞の意味が重複 しているのです。

「夜明けが明けた時」もそうです。普通「夜明けが明ける」とは言いませんよね。
2番の歌詞でも「部屋のドアは金属のメタルで」 という重複歌詞があります。

井上陽水氏は当然あえてこのようにしているわけです。

遊びでそうしているのか、歌詞の世界の常識に挑戦しているのか、理由はわかりませんが、このような(普通ではやらない)事をシラっとやってしまうところはさすが大物という感じがします。

サザンの桑田佳祐氏も結構歌詞の中で遊んでいますね。
ちょっとキワドイ歌詞もあったりします。 

この話題は先日たまたま聞いていたあるラジオ番組の中で取り上げられていました。
この事に気づき、この企画を立てた人もなかなかなものだと思います。


 井上陽水氏で僕が印象に残っているのが「傘がない」(1972年)という曲です。

♪「都会では自殺する若者が増えている」
「今朝来た新聞の片隅に書いていた」という少し深刻な感じの詩で始まります。
そのあと
♪「だけども問題は今日の雨 傘がない」という遠い現実から実に身近な話題に変わります。
「いかなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の町にいかなくちゃ 雨にぬれ」
恋人に逢いに行くのに傘がないから濡れていくしかない。という、解説するとそんな感じです。

実にシンプルでありながら、このギャップはそれまで聞いたことのない新鮮さを感じました。


ちょうどこのころ、「黒いカバン」(1972年)という曲がありました。泉谷しげる氏の曲です。
曲というか、歩いていると警察官から職質を受けそのやり取りを歌にしただけ、のような変わった曲です。
ご存知ない方は一度聞いてみて下さい。泉谷さんのキャラが濃く出てます。面白いですよ。



こうして思うと、遊びの部分は大事な要素となります。 アーティストは特に。



 

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