舘祐司の気ままなブログ

6日、舛添都知事が記者会見を行い、一連の問題に対し選任の弁護士による調査結果を発表されました。

大方の予想を裏切ることのない内容でした。
「適切」なことと「不適切」なこととの細かな議論もあるかと思いますが、それはさておき、知事という立場の人間が「不適切」なことをして許されるか、という事だと思います。
通常の企業であれば、間違いなくアウトだと思います。
それが許されるのであれば、日本の常識はどうなってしまうのでしょうか。


「違法性はない」という結論で知事は続投するという事でした。

おそらくほとんどの都民が納得していないと思います。
都民どころか、国民のほとんどががっかりしていることでしょう。

舛添氏はかつて「政党助成金をもらっても、ちっとも勉強しないで飲食費に回すような政治家には、そんなものは要らない」と自著の中で書いていたそうです。

国会議員になる前に政治資金規正法はザル法だと言っていました。
という事は全て知り得た上での行為という事になりますので、確信犯と言われても仕方ありません。

舛添氏は議員になる前に国際政治学者の肩書で当時の国会議員らとよくテレビ討論をされていました。
市民の代表的な立場で政府を糾弾していたころが懐かしく思います。

そんな市民の味方がなぜ、こういうことになってしまうのか、残念でなりません。

不適切と不正は同義語に近いと思われます。
法律に反してなければいいという事はありません、道徳とか常識というものがあります。ましてや公僕の身ですから、一般市民以上に襟を正す必要があります。

もはや都政を任せられる立場にはないと多くの方が感じていることでしょう。

どうしても続けたいのであれば、まず辞職しけじめをつけて再度立候補され都民から意見をいただくというのが正しいあり方のように思います。

あまりメディアも取り上げていないのですが、この2名の弁護士さんの費用はどこから出ているのか、という事です。
よもや公費ではないと思いますが、もしそうだとすると大変なことになります。

第三者の言葉ばかりに頼らず、もっとご自身の言葉で語られた方がいいと思いました。

前都知事がお金の問題で辞職しているだけに、都民からは「またか」という落胆の声が多く聞こえてきそうです。
こういうことが起こらないような法の整備が必要ですね。他の国から学ぶことはできないのでしょうか。




前回ペチュニアやニチニチソウを購入しましたが、ピンクや赤系統の色が多く、黄色い花が少ないのが気になっていました。そこで今回は黄色い花を中心に探しました。

まず目についたのが、マリーゴールドです。鮮やかな黄色です。

ツートーンカラーの種類も購入しました。

そして、ひときわ目を引くのがこれ、アフリカンマリーゴールドです。花の塊がゴルフボール2,3個分ほどあります。

他には、変わった花の形をしたペチュニアの仲間です。花の形だけ見るとペチュニアには見えませんが、葉や茎の形を見ると仲間だというのがわかります。

ペチュニアは液肥をこまめに与えるとどんどん花が咲くと聞きました。


それぞれ鉢に植え替えて、何とかおさまりました。

前回購入した花たちも順調に育っています。

ルリマツリもようやく花をつけてきました。

もうそろそろ、スペース的に限界かも?

6月3日にプロボクシングの元ヘビー級世界王者、ムハマド・アリ氏が死去したと報道されました。

僕が彼の名前を知った頃は「カシアス・クレイ 」というネームでした。
KO予告をしたりする事から「ホラ吹きクレイ」という異名がついていました。
でも、予告通りに実行する実力も併せ持っていたのです。

「チョウのように舞い、ハチのように刺す」…これは1964年にソニー・リストンとの世界戦を前に言った言葉としてあまりにも有名ですが、彼のボクシングスタイルを象徴した言葉として最もふさわしいと思います。
ヘビー級といえば、最重量のクラスですから、フットワークを使う選手はほとんど皆無で軽視されパンチ力の勝負が多かったのです。

そこに、ヘビー級としては考えられないような華麗なステップで相手を翻弄し、隙をみてはパンチを見舞う。まさにあの言葉通りのボクシングを展開し、見事にタイトルホルダーとして君臨したわけです。
試合後「I am the greatest」(俺が最も偉大だ)という言葉で鮮烈に表舞台に立ちました。

その後、ムハマド・アリに名前を変え、1971年にジョー・フレージャーに敗れタイトルを失います。
ジョー・フレージャーとは永遠のライバル関係で、この後にも素晴らしい戦いを見せてくれます。

しかし、その3年後の1974年に当時絶対的な王者だった、ジョージ・フォアマンに挑み見事チャンピオンに返り咲きます。当時アリ氏は32歳、ボクサーとしては下り坂で、フォアマンが圧倒的に有利だろうというのが大方の見方でした。

この時の試合はよく覚えています。 
アリ氏がロープを背にし、フォアマンがパンチを連打するというシーンが 何度もありました。
両腕でガードはきっちり固めています。
当時のフォアマンは殺人パンチと言われ、ヘビー級の中でも突出したハードパンチャーでした。
マットに沈むのも時間の問題かと思われました。 

「あー、やっぱりフォアマン強い」と思って見ていると、ちょっと様子が変わってきます。
ロープを背にしながらアリ氏がフォアマンに何か言っていました。
「どうした、それだけか、もっと打ってこいよ」 おそらくそんな挑発の言葉だったのでしょう。
若いフォアマンはそれに対し血が上った事だと思います。(当時25歳)

打たれているように見せかけ実は打たせていたのです。散々打たせて疲れさせる作戦だったのでしょう。
攻めているように見えるフォアマンよりもロープを背にしているアリ氏の方が余裕が感じられます。
そしてそれが功を奏し、何とフォアマンをKOで下し 王者に返り咲きました。
この大番狂わせはのちに「キンシャサの奇跡」 と呼ばれました。


1976年、世紀の一戦が行われました。
それは、ムハマド・アリ対アントニオ猪木の異種格闘技という試合です。
これは日本中の人の注目を集めたと記憶しています。

残念ながら試合は期待はずれな 内容で「世紀の凡戦」と酷評されてしまいましたが、僕らはなぜか大興奮して友人たちとテレビ観戦した記憶があります。当時高校生でした。

あれ以来、そんな試合は催された事はないと思いますので相当珍しい事です、それを企画した方々もかなりの勇気があったのだろうと今更ながら感心します。

しかしその後も、1978年にスピンクスを破り3度目の王者に輝いています。
この時36歳です。ボクシングでは引退していてもおかしくない年齢です。まさにグレートです。

引退後はパーキンソン病になり、表舞台に顔を出す事もなく、過ごされていたようです。

そして、 1996年アトランタオリンピックの最終聖火点火者として久しぶりに我々の前に姿を見せてくれました。聖火を持つ手は小刻みに震えていた事を思い出します。

プロボクサーとして 数々の名勝負を見せ、ボクシングの魅力を体現してくれました。
多くのファンが、いやファンだけでなく 多くの人が彼に魅了された事だと思います。
天国でも きっと「チョウのように舞い、ハチのように刺す」のでしょうね。
ご冥福をお祈りします。

 

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